114 フランス歌曲から童謡歌手への転身 深川和美 ②

“私は、童謡は大嫌い!興味がなかったんです‼”突然、童謡歌手・深川和美さんからこんな答えが返ってくる…頭にジャブを喰らったかのように…。なんでやねん?どうして童謡歌手になったのか??!

1995年1月17日。阪神淡路大震災が、人々の人生を捻じ曲げるように変えられたように、深川さんの音楽人生も180度変わってしまったのです。神戸市長田区のマンション9Fで被災した深川さん。それまで、ソプラノ歌手として、エリック・サティやラベル、ドビュッシーなどのフランス歌曲(まさにクラシック!クラシック!)にのめり込んでいた声楽家だった彼女にとって信じられない変化が…。

F:深川和美

F「生活水を求めて車を走らせている時、ラジオから流れてる(愛すべき筈の)フランス歌曲が、すご~く遠いもののように、何の興味も湧かず身体を通りすぎていったんです。そういう時に、フト、口から出たものが“わらべ歌”“童謡”だった」

震災1週間後、開いたばかりの本屋で、彼女は1冊の“童謡の本”を買って、いつもの集まりに持って行ったら…

F「普段、童謡なんか嫌いそうな小父さん達とかロックやってる人、ジャズやってる人なんかが夢中になったんです…童謡の本に‼皆で夜な夜な歌ったりして。“あれ?なんで皆、童謡を歌いたいわけ??!”…で、練習して商店街でやった(歌った)んです。そしたら普段無関心なおっちゃん、ロックやフォークなど歌っていると通りすぎるおばちゃん、若者たち、家路を急いでるリュック担いで、防塵マスクして、急ぎ足の人が、童謡を歌っていると、急に振り向いて集まってきて、座りこみだして、皆で歌うって感じになってきた。一緒に口ずさみ、それが大合唱になっていったのです」

和美さんはドッと熱いものが込み上げてきました。

F「皆に必要なのはこれだ‼」と。

あの10数年前の体験が、フランス歌曲の歌手から童謡歌手へと人生航路を変え、前号で紹介した「“えっさほいさっさ”東北応援歌声メッセ―ジ」CD・DVDへと繋がっていったのです…日本人の心を励まし、癒してくれるのは童謡だと確信。

あれは6年前のこと。ヨッサンのクラシック番組にゲストでやって来た深川さんは、まさに“ヒマワリ娘”のように語りました!!?源平ゆかりの名刹、日本最古の一弦琴が保存されている須磨寺の近くに生まれた深川さんは幼少の頃からピアノを(家の真裏に住む)先生に習っていた…この先生が将来音楽への道標になろうとは。中学時代にユーミン(当時は荒井由美)のドつぼに。ピアノの先生が“音楽の道に進みなさい!”と。

彼女自身は、“普通高校に行ってテニスして、バンドしてチャラチャラと遊ぼう”と考えていた。

F「“普通科の高校落ちたら(音楽の道)やるワ”と言ったら本当に落ちてしまった。高校3年間は楽典、ソルフェージュ…“いつかユーミンの曲が歌えるやろナ~ァ”と思いながら受験。先生が“京都市立芸大に行って遊びに行って歌ってこい”と言われ、じゃ、遊びに行こうと思って、受験票忘れて、サンドイッチとホットレモンを持って、遊びに行ったんです。2日間も忘れて。

筆記試験の時も、お弁当持って行ったんですが、筆箱忘れて、試験が始まるまで気がつかなかったんです。“あッ、鉛筆忘れた!前に座ってる人に1本借りて、後ろの人が消しゴム(2つに)割ってくれて…」

なんちゅう受験生や⁉果たして…“合格”そんな彼女がユーミンを諦め(当たり前や、音楽大学で教えるかいな‼)はまっていったのが、エリック・サティとフランス歌曲だった…まるで数え歌を歌うように思い出話をする深川和美さんでした。(よしかわ・ともあき FM大阪くらこれ企画プロデューサー)

114fukagawa

深川和美さん

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