154 戦後日本のプリマドンナ 笹田和子①

中之島にあった“朝日会館”に実際に行かれた方は相当のご年配。名前は知っているけど…という方はヨッサンと同年輩(ま、ええ歳や)今月、待望の新装オープンした(なんや遊技場みたいな言い方やナア)フェスティバルホール。その前身である旧フェスティバルホールが1958年にオープンし大阪の音楽の殿堂として内外のアーティストがステージに立ったのは皆さんご存知でしょう。

で、その前がこの“朝日会館”で音楽、演劇、映画が上映されたんやて‼(聞くところによると朝日新聞の印刷インクを塗った黒い建物やったらしい…ホンマかいな)

そんな“朝日会館”で関西楽壇における歴史的な音楽会が開かれたのが1947年4月26日のこと。あたり一面、廃墟と化した中之島にポツンと建っていたこの会館に“音楽に飢え(実はお腹も飢え)ていたファン”が長蛇の列を作ったのです。関西交響楽団…現在の大阪フィルハーモニー交響楽団…が産声を上げたのです。指揮者は朝比奈隆。そしてソリストが大阪が生んだ名プリマ、ソプラノの笹田和子。

笹田和子…1921年、大阪府生まれ。1942年、東京音楽学校(現在の東京芸術大学)卒業。その年藤原歌劇団によるワーグナー「ローエングリン」のエルザ役でデビュー。プリマとして数多くのオペラに主演し名声を博す。(名匠グルリット曰く“超ヨーロッパ級”と言わしめたドラマティック・ソプラノ)二期会で活躍後、大阪に戻りフリーに。戦後の日本のオペラ界のプリマドンナとして、音楽教育者として京都芸大、仁愛女子短大の音楽科教授を務めたほか、宝塚歌劇団では声楽を指導。昭和39年大阪文化祭賞受賞…

…1989年春爛漫の今頃、ヨッサンはこんなプロフィルを認めたコンサートチラシに目をやっていた。タイトルは「1989年5月29日(月)“笹田和子ソプラノリサイタル”フェスティバルホールにて」ぽや~っと眺めていたヨッサンの目が釘付けになった‼

“1965年・子宮筋腫手術、1972年・子宮癌手術、1973年・左乳癌手術、1987年・右乳癌手術”…聞いただけで生きる風船がパンクしそうなのに、67歳になるこのお婆ちゃんが、歌う喜びを、歌える希望を胸に、ステージに立つ‼(なんちゅう執念や)…そんな彼女の歩みを探ろう!色んな方の証言(インタビュー)を絡ませ合いながら特別番組を作ってみたい!このチラシの中にある抱えきれない、彼女の67年の歩み、それもズッシリとした重みを確かめたくなった。“これはシンドいけど、凄すぎる出会いがあるぞ‼”番組プロデューサーのサガがうずいた。…が、人選が大変だった。その時まで“笹田和子”の重みすら知らなかったんだから。

アポを取るヨッサン。芸大時代に一緒に学んだシャンソン歌手・石井好子さん、藤原歌劇団時代の後輩だった名テナー五十嵐喜芳さん、ダークダックスの面々(めちゃくちゃおもろいエピソードは次回に)、忘れてはならない第1回関西交響楽団の指揮者というより巨匠朝比奈隆さん、関西が生んだ同年代の天才ヴァイオリニスト辻久子さん、癌手術を執刀した北野病院の主治医ほか多数、そして笹田和子さんご本人に密着取材できるように必死で頼み込んだ…

そりゃ、“25年ぶり”に大きなフェスティバルホールで、それも大好きな大阪フィルハーモニー交響楽団をバックに歌うんだからナーバスにならない方がおかしい。でも説得‼ヨッサンも“執念”と“誠意”の行状記が始まりました。(まさか彼女が大阪が生んだあの有名な作家の妻に、ほんの束の間なっていたとは知る由もなし…)

次回、デンスケ(録音機)担いだヨッサンの東奔西走ぶり!その特別番組をお聞き(ならぬ)お読み頂きましょう。(よしかわ・ともあき FM大阪くらこれ企画プロデューサー)

154sasada

1996年、フェスティバルホールでリサイタルを開いた笹田和子さん

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