152 飛び出したびっくり宝塚評 岸香織VS永六輔 ①

もしあの時のインタビューテープや記録が残ってたら…昨年亡くなった宝塚の大御所(愛称“ヨッちゃん”なんておこがましくて言えない)“白バラのプリンス”春日野八千代さんにマイクを向けたのは1970年代。端正このうえない上品さを漂わせたお姿にヨッサンは嬉しくって足がスキップ‼今は地団駄。(後から聞いた話…宝塚には3つのお風呂があり…小、中、大学…今もなお春日野さんと天津乙女さんが身体を洗っていた大学風呂のその場所は誰も使用してはいけない聖域だとか…ホンマかどうか??)

さて、今日ご登場していただくのは春日野さんとは真逆のタカラジェンヌ・キッシャンこと岸香織さん。よ~けお仕事一緒にやったナア。名脇役でシリアスからコミカルもこなす、口も筆も立つ!楽しくも鋭い切れ味!“本音”が渦巻いていた(ヨッサンにとって良きパートナーでも、宝塚歌劇団にとっては煙たい存在だったかも)…そんな彼女も昨年亡くなった。が、彼女がインタビューしたテープが残っていたのです。マイクを向けたのがあの中年御三家の一人、永六輔さん。

宝塚歌劇団の誕生は1914年4月1日で来年100周年。永六輔さんは1933年4月10日生まれで、先々週紹介した藤本義一さんとは遠戚。岸香織さんは1939年4月6日生まれ、小沢昭一さんも1929年4月6日生まれ、野坂昭如さんの(前回も紹介した)奥様は宝塚時代の芸名は藍葉子で、な、なんとキッシャンと同期生だった。なんだか色んな糸が絡んでいておもろい‼

さてさて、宝塚随一の毒舌家とも言われたキッシャンと永六輔さんとの対談を収録したのは1977年11月18日、TBS会館地下のレストラン。キッシャンもヨッサンも永さんは小柄な方だと思いきや、あいや!180センチもあろうか…大柄な体格。こりゃ、体力も“口撃力”も負けそうな雰囲気でした。

E:永六輔  K:岸香織 (ディレクター&ミキサー:ヨッサン)

K「私はね、何かの月刊誌で永さんがお書きになっているのでね、“いい所を探して無理に褒めるのはよそう!それは宝塚歌劇だけでいい”と書いてあったのを読んでカ~ッとなって。無理に褒めて頂いたんですか⁉」

E「宝塚の批評をしている人達を見ていると新聞批評を含めて、どうして宝塚は甘い人達だけに批評を頼んでいるのかなと、素直に思います」

K「すると今度は永さんにお願いしようかしら」

E「僕が観に行くと、ちょっと違ってしまうんじゃないかな。素直に言いますよこの際。宝塚を観に行って客席に居る間中、ほほを赤らめて自分がいかに猥雑な人間かということを反省しているうちに幕が降りちゃうの。全然楽しんでないんですよ。こんなに女の人がいて、この人は結婚しないんでいるんだろうかとか、本当ならばおばあさんで孫がいる歳なのにとか、この人達は本当に処女なのだろうかとか…。

男装もダメなんです。宝塚でも女性役の方がまだいいの、想像しちゃうんですよ。あれ嫌いじゃない⁉あなたバレエ観に行って、男性のタイツ姿っていやじゃない?でっぱっている部分があるでしょう」

K「いやですね、なんとかして欲しい。だけど、そこに目がいっちゃうわけ」

E「嫌でしょう。僕も嫌なんです」

K「同性として嫌なわけ?」

E「あるべきものがあるのがとっても嫌なのと同じで、あるべきものがないのも嫌なの。男装だと胸を押さえているからオッパイがペタンコにされているんだろうなァと思うし、下半身に目がゆくとどうして出っ張っていないんだろうと思うし…。この人がほんとにレディならレディとして歌ってたらもっと好きになれるなあという感じ…するの」

宝塚ファンの皆様!ごめんなさい。ラジオではスポンサーを意識して割愛した部分もあったのでした!(よしかわ・ともあき FM大阪くらこれ企画プロデューサー)

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永六輔さんの著書『生き方、六輔の。』表紙

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