024 愛称覚えからラジオ新企画まで タカラジェンヌ

なにわのヨッサン とっておきの【音楽交遊録】・・・・吉川智明(024)

レモン、バッシャン、ピンちゃん、オトミ、ミッキー、ターコ、シビ、モサク、カメ… これは何であるか分った人は、相当、その道に詳しいお方。その道とはどの道か?全問正解なら“大のタカラヅカファン”といえましょう。

入社2年目の1973年のある日、上司から言われました!

「吉川君、タカラヅカやってくれないか!」

「ハァ?…タ、カ、ラ、ヅ、カ…ですか?」

“ウソや~⁉宝塚歌劇なんて女性や子供の観るもんやないか!”…と心の中で叫んだヨッサン。それから数カ月後いつしかハートが“タカラヅカ色”に染まっていったんですから不思議です…。

それにしても大変でしたよ。女の花園・宝塚へ毎週のように出かける…その気色の良さ!もとい…難しさ。当時の宝塚企画の番組担当者が何ともイケズに思えたことか!

「吉川ちゃん、今度のスターさんはツレでいこか」

「へェ~?どこへ連れまんのん?」

「ツレ、鳳蘭やがな!でもツレは今、時間がないナア、おもろい所でバッシャンしょうか?」

「はァ? どこに飛び込むんでっか?」「ちゃうがな明日香都やがな!」

こうして、タカラジェンヌの愛称を覚えていった数だけどっぷりと“花園”に浸かっていったのであります。

明日香都の本名が小橋朝子で…バッシャン。美里景の本名が日比野桃子から…ピンちゃん。ぼさ~と、もさ~っとしている雰囲気から…もさく(平みち)

面白いところで、安寿ミラの愛称は「ヤン」…本名の「馬場さん」から「馬場やん」になり「馬場」が抜けて「ヤン」になった。匠ひびきは「チャーリー」…音楽学校時代、自転車で通学していた為!貴城けいは「かしげ」…(笑えます)いつも化粧前で首をかしげていたから。寿つかさの愛称は「すっしー」… (なんと)実家が寿司屋だから。

かくして生徒達やファンの間でもこれらの愛称が飛び交い、それをキャッチできなければヅカファンとは言えない…キビシー世界なのであります。

さて、けだし名言といわれる台詞に“王、長嶋が太陽の下で咲くヒマワリなら、オレはひっそりと日本海に咲く月見草や” があります。ご存知プロ野球野村克也さんの言葉。ならば宝塚時代も卒業(退団)後も咲き誇っているのがツレちゃんこと鳳蘭さん。本名の荘芝蘭…ツエン・ツーレイ…からツレ。

そんなツレちゃんとのデンスケ行状記の思い出がフツフツと思い浮かびます。

舞台終演後の下手楽屋前のお稲荷さんが飾ってある下のベンチで、それこそバスタブ姿のメイクそのまんま姿の彼女にインタビュー。話の中身は忘れてもなが~ いつけまつ毛の上に溜まったホコリが忘れられません。(カット!カット!の声が聞こえてきそう)

そしてそして当時とんでもない企画を実施していました。“タカラジェンヌの会いたい人”のコーナーがそれ!

これが大変でした。忙しいタカラジェンヌ、忙しい対談の相手、忙しいディレクターのヨッサンのスケジュールを合わすのが大仕事。それよりなにより、タカラジェンヌが誰に会いたいか…その候補者を上げるのにひと苦労でした。

例えばジュンコさん(汀夏子) の場合…「なんとかアラン・ドロンにあいたい~!」

ヨッサン「そんなん無理やナァ」

ジュンコさん「それやったら淳ちゃん(浜村)にしとくワ」てな具合。

それでツレちゃんが会いたい人は誰?…桂三枝、やしきたかじん、布施明。

三枝さんとはFM大阪のスタジオで。たかじんさんとは東京TBSのスタジオで。布施さんとは東京のとあるラウンジのゆったりソファに座りながら対談を収録。(当時2人はラブロマンスが?と言われていましたっけ)。どんなお話が飛び交ったかは次回に…勿論ひまわりのように話が咲き乱れましたヨ。(よしかわ・ともあき F M大阪くらこれ企画プロデューサー)

takaraduka

タカラジェンヌがお気に入りの人と語り合った対談集

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