感傷の秋、あの日、あの頃…昔はよかったな~。が、今の若い人はいいな~と思うことも。
あの弾ける大学祭(学園祭)もその一つ。ヨッサンが大学に入って、丁度今頃、大学祭どころではなかった。シュプレヒコールあげデモって…“あ~インターナショナ~ル”とあの名旋律(万国の労働歌)を闘う仲間と肩くみあい青空にぶつけるように歌っていましたっけ。だから大学祭の想い出のページは1枚も残ってない。でも肩くみあったY君は40年以上過ぎた今、ヨッサンの番組をサポートしてくれている…だから人生はおもろい‼(それにしても、今、拳上げる大学生ってあまりおらんナア…)
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さて、このインターナショナル…“国際”という言葉はどんどん増殖するように使用されすぎて、たとえば音楽で“国際”と名のつくコンクールを列記してみたら(字数がもったいないので)…やめた。
そんな中で名実ともに国際にふさわしいのが世界三大コンクールと言えば“ショパン国際ピアノコンクール”“チャイコフスキー国際コンクール”そして“エリザベート王妃国際音楽コンクール”。これらの超難関コンクールに入賞するだけでも、それはそれは名誉なことなんですね。
そのエリザべートの(日本人は数えるほどの)ヴァイオリン部門で入賞した大阪弁丸出しの好青年を今回ご登場頂きましょう。
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前回は阪急電車京都線の高槻生まれのヴァイオリニスト“NAOTO”の華麗(カレー)なる?人生を綴りましたが、今回も京都線。淡路駅下車したところで呱呱の声を上げた高木和弘君。我々大阪人の誇りでもあるこの演奏家にはどんな人生の分岐点があったのか⁉
彼にマイクを初めて向けたのは2005年7月のこと…
T:高木和弘 Y:ヨッサン
Y「生まれは?」T「1972年です」
Y「うわ~ァ…ウチの娘と同じ歳や!こんな息子がおるんか⁉ギャ~嬉しいわ」
T「10月27日生まれで“さそり座”パガニーニと誕生日が一緒なんです」
Y「あっ、変人・奇人やな⁉」T「そうですねん」(大阪のノリや)
*パガニーニ……1782年10月27日~1840年5月27日)イタリア生まれのヴァイオリン奏者であり作曲家。超絶技巧の持ち主で“あんさん、俺の演奏を真似できんやろ⁉”てな感じで自作自演し神技だった。私生活はハチャメチャ。
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Y「6歳の時からヴァイオリンを始めた!興味をもったのはオカンから?」
T「いや、逆です。オトンですね」
Y「オトンは何で?」
T「オトンが趣味で(ヴァイオリン)やってて、頭のいい男だったんで結構な線までいったという話なんですが、僕が生まれる前に、ちょっと左手に事故があって弾けなくなって、それからは町の教室で教えてたんで、僕もちょっと習いだした…“オトン教えてくれ”」
Y「何でまた興味を?普通、男の子やったら野球やサッカーやん」
T「そこでカッコいいコメントいいたいんですけど、小学校1年生ぐらいまでは自衛隊のヘリコプターに乗りたかったんです。すっごく乗りたくって、パイロットにネ。でも僕、“乱視”なんです。眼科に“もうメガネかけなアカン”言われて、淡路のクスノキ眼科ゆうとこなんですけど。“乱視はもう、ひどくなるだけやから”言われて諦めたんです。僕は動体視力を非常に要するものは出来ない、命のリスクのあるようなものは出来ないということが分かって、それでカッコいいもん何やろと思い、親父が爪弾いているのを見まして、“これや‼”」
選択は間違っていなかったんや。(よしかわ・ともあき FM大阪くらこれ企画プロデューサー)
高木和弘さんとのツーショット