119 45歳で音楽に目覚める 三枝成彰 ④

突然ですが、皆さん“ガッチョ”をご存知ですか⁉“ガッチョ”…“ガチョウ”ではありません。魚の名前で、ヨッサンが住んでいる泉州では夏の旬魚…見た目はいかついけど、天ぷら、刺身、それに唐揚げに…かぶりつくとじゅわ~んと美味が広がるのです。

あれは15、6年前のこと、和歌山のホールで三枝成彰プロデュース「明治生命ハートフルコンサート」(FM大阪後援)が開かれました。演奏者は今や名ピアニストの誉れ高い俊英・横山幸雄。さ~て、コンサート終演後、“ちょっとだけ打ち上げをしよう”と相成りましたが、和歌山は全くコレと言った“お食事処・居酒屋”の類はワカラン。“ホンナラ、僕(ヨッサン)の斜め向かい(貝塚)に、魚が旨い小料理屋があるから、そこいこ‼”てな訳で、和歌山のホテルをキャンセルしてタクシーを飛ばすことに…。

三枝さん、横山さんの喜ぶこと。泉州沖で獲れるワタリガニ、シャコ、そして“ガッチョ”などなどの創作料理に舌鼓。(この時のにぎやか談議を綴っていくと長~くなって編集長に怒られそうやので省略)やおら三枝さんが“サプリメント”を並べ出した…1つ、2つ…10数個。“僕は83歳まで生きてオペラを16書くんです‼”…ホンマかいな??

10数年後、インタビューを終えて、三枝さんはノタマッタ“サプリは今、20種類くらい、オペラはあと6つ”そんな三枝さんがどうしてこんなにも創作意欲が湧いたのか?…前々回にちょっと触れました…三枝さん曰く「僕は音楽が“いいなァ~”と思ったのは45歳からです」のあの言葉の真実を今回は探ってみましょう。

S:三枝成彰 Y:ヨッサン

さて、東京芸術大の大学院は落ちたし、ドイツ留学をやめた三枝さんは、朝から晩まで3度のメシより酒が好きの飲んだくれの毎日。

S「2年経って“大学院にいっとかないと、教授にも教師にもなれないし、どこも雇ってくれないゾ!”と言われ一生懸命に英語を勉強しました」

なんせ落ちた時“5点”しかとれなかったから。29歳で大学院を修了だから…

S「20代は幸せな人生を送ってないですネ」、

Y「ほな…30代で目覚めた⁉」

S「いや、45歳で目覚めたんです。30代でコマーシャルの仕事が来て、年末に誰もやってくれる人がいないので僕に来た。それがわりと良くって、立て続けに2回来て、次の年に2本、…4本、8本、16本…倍々で仕事が来て、結構忙しかった。“運”がよかったです。でも、コマーシャルの音楽って終わっちゃうと、皆、忘れちゃうんですよね。誰も覚えてないんです。大河(ドラマの音楽)も朝のテレビ小説(の音楽)も書いたけど、誰も覚えてないんですよ。結構虚しいんです。ただちに消えていく“消えもん”ですね」

“消えもん”…とは言い得て妙やナア。そのあと…

S「“うんこ”みたいだなあ…と思った」とこれまた“運”を嘆いた三枝さんが、遂に“運命の時”を迎えたのです。

S「45歳の時にオラトリオ“ヤマトタケル”を書くことになった。ボニージャックスの方から頼まれて、全国から5000人の合唱を集めるので、新しい“第九”を書いてくれ‼どうしても調のある曲を書かざるを得ないんです。で、調性の曲を書いたら楽しくって楽しくって、毎日早く帰って仕事をしたい…と思うようになったのは生まれて初めてだった。それで“僕は、現代音楽は嫌いなんだ‼”って言うことに気がつくんですネ。“美しい音楽、ハーモニーの復権を目指せばいいんだ‼”と」(よしかわ・ともあき FM大阪くらこれ企画プロデューサー)

119miki

三枝成彰さん

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