111 劇団四季からの大抜擢 宮川彬良 ③

“野球の華を奪う統一球”17日号の西本忠成さんの“うの目たかの目”は考えさせられたワ。プロ野球大好き人間のヨッサンやけど、確かに最近のプロ野球はおもろない。ホームランが多い少ない…だけちゃうで。存在感のあるバッターやピッチャーが少ないやおまへんか⁉花のあるスターやいぶし銀のバッティングや守備。それに…かつての長嶋・王VS村山・江夏や野茂VS清原、掛布VS江川にイチローVS松坂…などの名勝負名場面がなんと少ないことか…。

そういえば、珍プレイも名語録も少なくなってきた⁉たとえば野村克也さんが…“長嶋茂雄はひまわりの花、私は月夜にひっそり咲く月見草ですよ”…はけだし名言で忘れられない。ともに親父は大選手。そんな″親父の七光り〟の息子は大変やったやろナア…一茂君や克則君。

さて今回も宮川彬良さん…音楽業界の花形を親父に持った息子は“親の七光り”を原動力にして邁進した…けど、チャンスは思わぬところから転げてきたから人生はおもろいヨ!

M:宮川彬良  Y:ヨッサン

Y「おやっさんの背中に何とか近づきたいと思いながら」

M「そうなんですワ~ァ(東京弁と大阪弁がこそばく交じり合う)」

Y「大学は??」

M「2年ぐらい浪人して…3年目に入った(入学)のに、半年でやめたんで~(と、けらけら笑い転げる)、なんせ、入学するのが難しかったんです。大人顔負けに作曲しないと入れなかった。受かるぐらいの技術があるってことは、入ってから勉強することがあまり無いという状態なんです」

Y「じゃあ、半年、なにやってはったんですか??」

M「だって、2年浪人したら、入学したら半分以上女の子ですからね、そりゃ、そういう興味は当然ハハハ…」と、意味ありげな“色”がついた声に、当惑するヨッサン。

Y「で、大学やめて、どうしはったん?」

M「劇団四季から電話がかかってきた。渋谷森久さんって言う音楽監督がいたんです。この人が劇団四季のミュージカルを今やってるんだけど羽田健太郎のアレンジが間に合わない!″お前、芸大入ったんだろ⁉手伝ってくれ‼”って」

Y「それって、人生のターニングポイントやね⁉もし渋谷さんの一声がなかったら、今の宮川彬良がなかった‼」

M「全く無いですね、その人が開園間近の東京ディズニーランドの音楽監督もやっていた。劇団四季で仕事をして気に入られて、次の年(1983年)″ディズニーランドがオープンするから、お前(ディズニーランドの音楽の)アレンジせい!”と。21(歳)ですよ僕!」

Y「クァ~ァ、まさに、大抜擢や‼」

M「その人(渋谷さん)はネ、非常に伯楽というのかな、才能を見つけるのが好きで好きでしょうがない人だったんですヨ」

まさに音楽教育の本来のあり方や‼才能をいかに見つけ引き出すのか!??…を実感。21歳で、親父の背中を見るだけでなく、やっとタッチ出来るようになった宮川彬良さん。彼が作曲したり、アレンジしたり、劇団四季のオーケストラを指揮した音楽は今日も息づいているんです…ヨ。

先日、京都劇場で劇団四季オリジナルミュージカル「ユタと不思議な仲間たち」をポロッポロッ涙で観劇。飢餓や間引きによって現世で生きることが叶わなかった“座敷童子(わらし)”達とユウタ(ユタ)少年との“愛と勇気=生きることの素晴らしさ”の物語。

パンフレットを見て驚きの鼻息が⁉コンダクターキーボード:宮川彬良。大阪四季劇場で上演中の「夢から醒めた夢」のチラシを見て、ヒョ~と驚いた!作曲のクレジットに“宮川彬良”の名が。他に、「ドリーミング」「新・はだかの王様」なども宮川彬良作曲なのです。(よしかわ・ともあき FM大阪くらこれ企画プロデューサー)

111miyagawa

「ユタと不思議な仲間たち」(右)と「夢から醒めた夢」のチラシ

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