今年は大阪が生んだ作家・織田作之助の生誕100周年。この音楽交遊録もオダサクにちなんだ人物やこじつけの(?)人物にご登場頂いています。
◎笹田和子…オダサクと、ほんの指折り数えるだけの結婚生活を送った関西が生んだプリマドンナ(名ソプラノ歌手)
◎田尻玄龍…オダサクの中学時代の同級生で、彼の最初の妻一枝の葬儀をおこない、オダサクの葬儀を仕切られた楞厳寺住職
◎井上理津子…オダサクは色街が大好きだった。続「夫婦善哉」に飛田の大門が出てくることから、オダサクも足繁く通ったと思われる遊郭「飛田」。「最後の色街 飛田」を突撃取材し、書き上げたフリーライター。
◎緒形拳…大の将棋好きのオダサクが、新世界界隈にある囲碁・将棋の店にも通ったであろう俗臭漂うじゃんじゃん横丁。オダサクが愛した孤高の棋士・王将・坂田三吉を演じた俳優緒形拳さん。
◎澤野工房…オダサクは大のジャズ好きであった。オダサクとは何のご縁もないけど新世界・通天閣のそばで「履物店&ジャズCDショップ」を経営されている澤野由明さん。
…とヨッサンも、ない頭で(自画自賛しながら)綴ってまいりました…が「新世界」で行き詰ってしまい…。”アカン、浮かばんわ“(こっくり…)
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Y「あ、あなたは…!?」
D「ワシじゃよ、ヨッサン!アントニン・ドヴォルザークじゃ」
Y「なんでまた大作曲家が⁉」
D「お盆の季節じゃろ。お前さんが“新世界、新世界”っ叫んでるし、それに澤野さんとことワシの家がよ~く似てるんで、ついつい天界から降りて来た訳じゃ」
Y「…というと」
D「澤野さんとこは“履物店とCD店”、ワシの家は“宿屋と肉屋”じゃった。ワシも長男だったから13歳の時に肉屋になるための修業を積んだが、この専門学校のR校長はドイツ語を教えてくれ、ワシに音楽の才があることを見つけてくれたんじゃ。先生が親父を説得して音楽への道筋をつけて下さった」
Y「ということは、もしR校長が肉屋への線路を音楽の線路に切り替えて下さらなかったら、全世界のお宝“新世界交響曲”も生まれてなかった?」
D「お~、ヨッサン、線路なんて言葉を使うからカラダから“蒸気”が吹き上がってきたぞ!ワシは小さい時からSM…もといSL狂で、駅まで毎日歩いて汽車を眺めに行くだけでなく、時刻表や車体番号(モハ、キハ、クハ…)運転士の名前など全部覚えてしまったんじゃ」
Y「SL以外に趣味は?」
D「“鳩”なんじゃ。ワシの別荘に“鳩小屋”を作って可愛がっていたんじゃ」
Y「何羽くらい?」
D「810羽じゃ!」
Y「810=ハトやな。で、何でSLと鳩なんですか⁉」
D「ダジャレのヨッサン!分からんか⁉SLは“しゅポッポ”鳩は“ポッポ”じゃろ」
Y「アカン、負けた。それにしても今年は記念すべき年だとか?」
D「そうなんじゃ。大阪の新世界は昨年100周年。ワシの新世界交響曲が世界初演されたのが1893年12月16日…今年120周年なんじゃよ。ニューヨーク、カーネギーホールでオケはニューヨークフィルハーモニック。当日は長蛇の列、終演後は凄い拍手…ワシはSL狂だけに“蒸気…もとい上機嫌”で、まるで王様にでもなった気分じゃった。120年前のことが今も脳裏に“アンナ”。あ、“アンナ”は最愛の妻の名前じゃ…ではそろそろ“家路”(天界)につくとしよう」
…夢からさめた夢。
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*アントニン・ドヴォルザーク(1841~1904)…チェコ生まれ、結婚1回(姉妹の姉に失恋して妹アンナにプロポーズ)子供9人(幼くして亡くなった3人の子供の悲劇は胸が痛む)新世界のアメリカに3年間、音楽院長として就任。招聘した夫人が初恋の人に似ていたそうな。(よしかわ・ともあき FM大阪くらこれ企画プロデューサー)