なにわのヨッサン とっておきの【音楽交遊録】・・・・吉川智明(082)
大阪仁義なき戦い=選挙戦…最後にステージで笑うのは誰?!ま、ヨッサンは“文化を平気で殺ぎ落とす”ようなお人は応援しませんが…。
さて、ヨッサンが敬愛し呆れもする“音楽を愛し、文化を愛し、地域社会にロマンと夢”をモットーにしている企業トップ大川真一郎さん(78歳)を今回ご紹介しましょう。
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大川さんとはメル友で、大川=ビッグリバー、吉川=グッドリバー…最近はラッキーリバーのネーミングで交信している間柄。前回は100万円でオーケストラを作った(作れると思った)オカン(敷島博子さん)の奮戦ぶりを書きましたが、この大川さんは関西フィルハーモニー管弦楽団の代表を20年間務め、な、なんと10数億円をこのオケに貢いだ!?お方なんです。“お金を残して死んだ人は1年で忘れられる。しかし、文学、絵画、建築、音楽など文化を残した人は半世紀、1世紀まで人を幸せにする”を実践!!只今、オペラハウス(歌劇場)の建設の夢を完結させようとしているのです。それも大東市のど真ん中に。ホンマかいな??ホンマなんです!!
まずプロフィルをお読みあれ!
大川真一郎…1933年生まれ、大阪大学工学部卒業、三洋電機に入社、1969年退社し、叔父の会社“オオカワ”に入社、叔父が亡くなり相続税が1億5千万、ボウリング場に手を出し15億円の借金を抱え、死を考えるが持ち前の気力・闘志・行動力で会社再建。その死を思いとどまらせたのが…“クラリネット”だったのです。
1972年ショッピングセンター“ポップタウン住道”を開業。この3年間で“南館”“東館”がオープン。そしてその次が“オペラハウス+ホテル”の建設なんです。
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S:大川真一郎 Y:ヨッサン
Y「なんでクラリネットを?!」
S「皆、大学いくとこ決めてるけど、こちらは質屋の息子やから進路わかれへんかった。皆行くから俺も阪大受けるワ!ゆうたけど、見事に落ちましてね、YMCAの予備校に。そこでクラスの中でみんなシューンとしているのに1人だけ“(来年入学したら)阪大オーケストラのコンサートマスターやるんや”と咆えとるやつがおるんです。
2日目も3日目も同じことゆうとる。頭おかしいんちゃうか思たけど、目が澄んでる。それに惹かれて、なんでも俺、やってやろう!ダボハゼ的な男やからね。“ほな、俺もコンサートマスターなれるか?”“お前ヴァイオリンやったことあるんか?”“やったことない”“そらアカンわ!ほな1番ラクなんはフルートちゃうか!プーっと鳴るがな”と言われたんで家帰って早速親父に“今度(阪大)通ったらフルートこうてくれ!”“よっしゃ!!”と親父安請け合い。〈必死のパッチでお勉強…1年後合格〉
“親父、約束通りフルートこうてくれ”“そんなんゆうたかいなァ(と、とぼけ)予備校でどんだけ金つこたおもてんねん!!(怒りマーク)”数日後、親父が〝なんや質流れに楽器あるで!〟と蔵から出してくれたんがクラリネットやったんです」
Y「蔵でクラリネット…しゃれてる場合やおまへん」
それからの大川さんは基本練習の連続。さ~て、オケに入ったはいいが、トップ奏者の先輩がいる。自分はセカンド。(トップは主旋律を吹く、セカンドは“ブ~ブ~ブ~…”ばっかり。トップ奏者の先輩は歯学部で6年間在学。2年先輩なので卒業が同じ。ということは卒業までセカンドのまま。…が大川青年は先輩の3倍の練習量をこなした!!自室の壁や、はたまた机の引き出しの中にも“3倍練習”の文字が…。
S「毎日3時間、多い時には8時間、唇の裏切れるくらい稽古しました。やってたらチャンスがきましてん」
さて、そのチャンスとは?運命の分かれ道は次回に。(よしかわ・ともあき FM大阪くらこれ企画プロデューサー)
大川真一郎さん(CDジャケットより)