091 子ども時代は実家の寺で木魚叩き… 和太鼓奏者 林英哲①

なにわのヨッサン とっておきの【音楽交遊録】・・・・吉川智明(091

和太鼓を独奏楽器として自立させ、日本だけでなく世界中に轟かせた先駆者・林英哲…1952年2月2日、広島県生まれ。高校時代はビートルズのドラムに憧れ友人とバンドを結成。71年グラフィックデザイナーを目指して上京後、「佐渡・鬼太鼓座」創設に参加、「鼓童」結成に参加後82年、独奏者として活動を開始…とあります。

さて、このプロフィルの行間にはとてつもない人生の綾が溢れているのです。

♬H:林英哲  Y:ヨッサン

Y「ヒバゴンは見つかりましたか?」(林さんの生まれは比婆郡東城町…現、庄原市。ヒバゴンはこのあたりに生息するらしい類人猿型の未確認動物…ホンマにおるんかいな?!)

H「ハッハッハ…ヒバゴン見たことないんですけど、そういう山奥で取れました。」(取れる=生まれる)

Y「小ちゃい時は、山を散策したり、冒険したり…?」H「ま、そう言うこともしてましたけど、どっちかというと“軟弱”な子供だったんです」

Y「兄弟は?」H「8人兄弟の末っ子で、実家は“お寺”だったんです。男4人、女4人で、上はお坊さんになる修行させられたんですけど、“1番下だから、何になってもいいけど、自分で自立して食っていくようなことを考えなさい”って言われてました」

Y「でも、小さい時から木魚叩いてたんでしょ?」H「こういう仕事やるようになって思ったんですけど、お寺の息子さんってのはね、“ドラム”をやる傾向が強いんですヨ!(Y「エェ~??」)一般家庭と違って、木魚だけに限らず、色んな鳴り物が本堂に一杯あるでしょ!(Y「バシャ~ンとか」)釣鐘とか、大きいのも、小さいものも…今、僕が舞台で使っているものはほとんど仏具・神具なんですよ」(大笑い!!)

Y「と言うことは小ちゃい時からリズム感がよかった?!」H「よかったのかも…今思えば1番最初に買ってもらったのは“木琴”なんですヨ!(Y「やっぱり打楽器や」)小学2年生の時の音楽の授業で1人で弾かされて、子供ってリズムが結構“よれる”でしょ。(よれる=早くなったり遅くなったり)それが、そうならなかったんで、先生がえらく褒めてくれたんです」Y「林さんの原点がそこにあるんですよ!(これぞ教育!先生はまず褒めること!木魚のお蔭か?!)叩くって言うのに音楽的に好きになっていった?」H「どういう訳だか、ドラムをやりたくなって、小学校で鼓笛隊を編成するっていう話しがあって“やりたい人、手を上げて!”その時、何故かとても太鼓をやりたかったのに恥かしくって手を上げられなかった」

Y「なんでやのん?」H「内気で…〈時は流れ〉…中学に入って、たまたま上級生からレコード借りたら、それが“ビートルズというもの”だった。なにも知らないで“シー・ラブ・ズ・ユー”って曲のイントロが“ドドン…コトン”って太鼓の音が…これがいい。何回も何回も聴いて“これやりたい!!”と思ってたら、丁度ベンチャーズのはやった頃で、友達がエレキギター買って、“じゃ、バンドやろう!”って話になって。僕は全然、太鼓習ったことも教えてくれる人が身近にいた訳でもないのに“俺ドラムやるから!”それで、自分で教則本買に行って、スティックだけ買って、ダンボール箱を“ドンダカドンダカ…”叩いて1人で練習して…譜面もおかげさまで読めるようになりました」

進学は美術大学と決めて上京した林さん。まさかこの譜読みが後々の人生航路を変更するようになるとは…。

どのようにしてお金を貯めてドラムセットを買ったのか?何故、大太鼓と出会うのかは次回に…。演奏活動40周年記念コンサート2012は2月1日から5日、東京で。(よしかわ・ともあき FM大阪くらこれ企画プロデューサー)

091hayashi

和太鼓を演奏する林英哲さん

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