027 “ホ”の字になったタカラジェンヌ 北原千琴

なにわのヨッサン とっておきの【音楽交遊録】・・・・吉川智明(027)

30 年前、毎週毎週デンスケ担いで宝塚村へ通ったヨッサン。これっぽっちも興味がなかったのに、生来の女性好き(!)のためか、ものの見事に宝塚に染まってしまった…ら、色んな不思議発見が!

◎宝塚音楽学校は予科(入学1 年目)と本科(入学2年目)があり予科生はお化粧はご法度…らしい。

◎芸名は“夏休みの宿題”で自分で決める。恩師や家族で決めることもある。…らしい。

◎男役か娘役かは自分で決める(但し男役は身長制限があるため、身長が足らないと娘役になる)…らしい。

◎初舞台生は化粧前の背もたれの使用禁止(これは組によって違うかも)…らしい。

◎メイクは本人が行い、音楽学校時代に先輩の劇団員が教える…らしい。

それから、お風呂は勿論上級生から入る(洗う場所も決まっているとか聞くが、入ったこともないので分らない。是非、ラッキー植松さんに探訪して欲しいものだ!)…らしい。

阪急電車に乗る時は、上級生は先頭車両に下級生は後ろに乗る…らしい。タカラジェンヌには阪急電車フリーパス券を与えられる。ミッキー(順みつき)はある日、持参するのを忘れ、改札口で駅員に“私、宝塚の順みつきです!” と言ったけど、“それがどうした!”と言われたとヨッサンに話してくれたことがあった。

さてさて、そんな宝塚村通いの中で“ホ”の字になった娘役がいました。当時まだ下級生だったマチコちゃん(北原千琴) の愛くるしい瞳や微笑にコロリとまいったヨッサンは、マチコちゃんも出演する花組「ベルサイユのバラ」沖縄公演密着取材に大胆にも出かけたのです。初めて飛行機に乗って。1977 年10 月31 日、返還されてもまだ車は右側通行の頃でした。

那覇空港に降り立ったヨッサンを待っていたのは、水のように澄み切ったスカイブルーとエメラルドグリーンの空と海。あまりの美しさに重いデンスケ、収録用のテープ20 本余りと電池うん10 本のバックが一瞬軽くなりましたっけ。

早速、那覇市民会館へ!開演を待つ人々の期待や公演後の喜びや興奮の声・声・声もデンスケに詰め込むヨッサン。そして上演中の楽屋風景も収録。とは言えステージのソデが早変わり場となって、目線の移動がいやはや大変(ホンマはもっとリアルに書きたいが…)テープにその臨場感や声がタップリと収録されていきます。

その夜、那覇グランドキャッスルホテルの“首里の間”のロビーに3人のタカラジェンヌが集まってくれました。マッちゃん(松あきら…現在、参議院議員)、バッシャン(明日香都)、そしてそしてマチコちゃん。題して“ 沖縄トラベルジョッキー”。司会は勿論ヨッサン。

☆沖縄の食べ物…ステーキが超安い!ブルーシールのアイスクリームが絶対お薦め。海蛇の肝は栄養たっぷり。

☆沖縄のお土産…星の砂(だけはいらないと言われたらしい)、サンゴのイヤリング。

☆沖縄のお酒…泡盛(みんなで舐めたとか)

☆沖縄の名所…ひめゆりの塔(ガイドさんのお話に感動。涙ホロホロ)、ムーンビーチ、万座ビーチ。

…ワイワイ泡を飛ばしながらのお喋り放談を収録。

次の日はオフタイム。コウザイさん(室町あかね)、レモンちゃん(宝純子)、ポイ(北大路みほ)そしてマチコちゃんはムーンビーチへ。ヨッサンも。な、なんと今日では着用しないであろうビキニスタイルを…エメラルドグリーンに映える宝塚乙女の眩しいプロポーションと無邪気さと歓声!あれから数年後、色香を増したマチコちゃんは退団して嫁いで行ってしまいましたっけ。

“ 好っきやねん” … あの時、ムーンビーチで書いた“砂に消えたラブレター” をフト思い出しました。(よしかわ・ともあき FM大阪くらこれ企画プロデューサー)

kitahara

マチコちゃんこと北原千琴さんのサイン入り写真

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