041 六本木と湘南で過ごした慶応ボーイ 藤岡幸夫①

なにわのヨッサン とっておきの【音楽交遊録】・・・・吉川智明(041

「指揮者になれなかったら、結婚詐欺師かホストクラブのホストをして払った学費を返せ」と父から言われた。(ウィキぺディアから引用)可愛い息子に対して親父がこんなことゆうんやろか⁉所が、インタビューマイクを向ける前から、この親父さんの言葉がえらく納得させられたのがこの人…藤岡幸夫さん。

今や押しも押されぬ関西フィルハーモニー管弦楽団の首席指揮者。ご対面の時、思わず呟いた…“まさに慶応ボーイや‼”慶応ブランド…①頭がいい②お坊ちゃん③お金持ちの家…それに、何と言っても④マスク(顔)はいい‼⑤スタイル抜群‼(177cm)…これだけ備わっていたら、もてもて要素満載。親父さんの台詞もあながちウソではなさそうや!(今は亡き指揮者若杉弘、作曲家千住明、ヴァイオリ二スト千住真理子も慶応)

さて、我等がサッチーノを迎えてのインタビューが笑い爆笑の連続連続…新春にピッタリですヨ!
ヨッサン「なんでまた指揮者に?」
藤岡「毎晩、寝る時にオペラ“椿姫”を聴いてまして、それはハイライト盤(抜粋)だったんですけど、たまたま全曲盤っていうのを聴きたくなって、お小遣いで買ったのがトスカニーニっていう指揮者で、それを聴いたらノックアウトですね!子供心に。かっこいいんですよ!(演奏が)もう、最初のところから。今まで聴いてた音楽(演奏)とは別物だなあ…と思って、親に聞いたら“そりゃ、指揮者が違うって言われて、(父はチェロ、母はピアノを楽しんでいた。だから違いが分る)で、(今まで、ピアノをやってたけど)トスカニーニがチェリストだって言うんで(トスカニーニはチェロから大指揮者になったんだから僕もトスカニーニのようになりたい!指揮者になりたい!と)チェロを始めたんです。」
さてサッチーノの親父さんは息子が“指揮者になりたい、なりたい”と言ってるけど、夢がかなうとは思ってないから、中学から慶応に入れた。(…ということは大学まで慶応。)
それでもサッチーノは慶応の中等部ではここのオーケストラを指揮。ヴァイオリンには千住真理子さんもいた。高校時代には、な、なんとコバケンこと指揮者小林研一郎さんに弟子入り=荷物持ちに。そんなサッチーノに立ちはだかったのが…??!

藤岡「高3ぐらいから彼女が出来て、彼女は“オフコース”が好きだったりしてネ。その頃、サザン(オールスターズ)がデビューしたてだったり、ディスコブームですから…やっぱり彼女の趣味の方に流れる訳ですヨ!男は弱いから。そうするとネエ、だんだんベートーヴェンなんて…ええわ(いらんわ)(ヨッサンの“ええぞ、ええぞ”の合の手)それまでは小澤征爾さんにかぶれて、タートルネックとかさ、着てたわけですよ!(ヨッサンもそやった…同じや)そうすると彼女からしてみると(藤岡・吉川が一緒になって)“ダサい!”“ダサい!全然、垢抜けてない”時はオカ(陸)サーファーがいる時代でしょ。やっぱり色が黒くて、流行の(薄着の)格好をしたのがカッコいい。そうこうしているうちに、だんだん僕も六本木で遊ぶのも覚えちゃったし、海が好きなんでヨットを始めて…だから大学1年から3年の間は、もうほとんど六本木と湘南で」
ヨッサン「バトン(指揮)テクニックちごて(違って)口説きのテクニックを磨いた⁉
藤岡「そら、どうだろう…テクニックじゃなくって、“恋の魔法”を使えるようになったかな?」(ヨッサンが“くっそ~”と机を叩く音が響く)いやはや“恋の魔法を…”の台詞がとっさに飛び出すサッチ―ノ。親父さんの冒頭の台詞がなんだか真実味を帯びてきましたゾ!!?さて、指揮者への行方はいかに??(よしかわ・ともあき FM大阪くらこれ企画プロデューサー)

40fujioka

藤岡幸夫さん

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