087 背筋が凍てついた収録秘話 宇野功芳③

なにわのヨッサン とっておきの【音楽交遊録】・・・・吉川智明(087

あなたは常日頃、心から尊敬、敬愛する“先生”はいらっしゃいますか?

先生(を検索すると)…1、先に生まれた人 2、学徳のすぐれた人 3、教師、医師、弁護士など、指導的立場にある人に対する敬称 4、議員に対しても使われる敬称…とあります。ヨッサンも5、6年前までDJアカデミーの事務局長(校長先生のようなこと)をやってたのでギャルやら新人類(ア~ふる=古い)から“せんせい”と呼ばれ、財団理事をしているので議員から“しぇんしぇ!しぇんしぇ!!”と言われたりしています。

そのヨッサンが“先生”としか呼べない…つまり“さんづけ”出来ないお方がいます。お1人は2001年12月29日にこの世を去った重鎮指揮者・朝比奈隆先生(享年93歳)。もうお1人が音楽評論家・宇野功芳先生。そして宇野先生が、これまた先生としか言わなかったのが朝比奈先生だったのです。

関西ローカル(と東京人が言う…なんだか馬鹿にした表現)の指揮者だった朝比奈先生を発見し、専門誌でベタ褒めし!押しに押して、その存在を日本の…、から世界の朝比奈への押し上げたのが宇野先生だったのです。関西の音楽評論家よ!恥かしいと思え!!もし、宇野先生の孤軍奮闘の評価がなかったらのちの朝比奈隆はなかったんやデ!!宇野功芳著『指揮者・朝比奈隆』(河出書房新社)は手に取るだけで“朝比奈愛”でヌクヌクや!?

さて、宇野先生と交友を深めたのは1999年から今日まで。番組作りは2004年から09年まででしたが、今でも背筋がブルンブルンと凍てつく体験が。

宇野先生の番組用の“おしゃべり”を3ヶ月の取り貯めするため、埼玉県新座市志木にある宇野先生宅にお邪魔した時のこと。声を収録する為に“収録機”(当時はDAT…デジタル・オーディオ・テープに録音する)“マイク”“マイクコード”“電源コード+延長コード”“ヘッドホーン”“ストップウオッチ”…などなどを担いで…新幹線~山手線~東武東上線を乗り継いで志木駅下車徒歩3分…宇野先生宅に着きました。

早速!収録の準備!!手際よくセットしていくヨッサンの姿(収録後には宇野先生が日本一や!!ゆうてはる銀座のお寿司屋さん“ほかけ”が待っている)…が、その手が、目が、止まってしまった!!

“あらへん(無い)”“なんでや?”“昨夜、ちゃんと袋に入れたやないか!?”“マ、マイ、マイクが…”

…沈黙…

探せども…ない、あらへん。“何の為に、重たい目ェしてここ埼玉まできたんや!?どないしょ??もっかい大阪に戻るか、日を改めるか…

ここで宇野先生が“電気屋が10分ほど歩いたらあるよ”“あるよ…言われたってプロ用のマイクなんて置いてへんのんとちゃいますか!?”“ま、兎に角行ってみよう!!”…と相成りました。〈とぼとぼ歩く宇野先生とヨッサン〉

電気屋があった!!…が、音響、オーディオ製品は見渡してもなさそう…店員さんに聞いてみた。“マイクありますか?!”“ありますよ!”(不安げなヨッサン…返ってきた答えが)“カラオケ用の安いのが…2000円です”

果たして…マイクコード(正確にはジャック)と合体できるんだろうか…“カッチッ”“やった~!!あ、あ、あ、テスティン、マイク…わ~録音できるワ”

30分後、無事3ヶ月分のお喋りを収録し終え、ど派手な近鉄バッファローズのジャージを羽織った宇野先生とヨッサンは銀座に向かうのでありました…軽やかに。

追記:宇野先生の試聴室を覗いてみると、とんでもない(象みたいな巨大な)スピーカーが鎮座。その上に、1980年頃、東京フィルの練習場で撮影された朝比奈・宇野両先生のツーショットが飾られていました。(よしかわ・ともあき  FM大阪くらこれ企画プロデューサー)

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朝比奈隆さん(左)と宇野功芳さんのツーショット

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