020 愛娘のピアノに目を細める 小林研一郎③

なにわのヨッサン とっておきの【音楽交遊録】・・・・吉川智明(020)

“1940年生まれ…と言いますと、俳優では、津川雅彦、浅丘ルリ子、相撲界で大鵬幸喜、プロ野球では王貞治に板東英二、サッカーのペレ。それから…ブルース・リーやジョン・レノンが生きていたら今年70 歳であります~。( 会場からのへェ~とざわめき)そして我等が指揮界のスーパースター…もといマエストロ小林研一郎さん70 歳をご紹介しましょう‼” ヨッサンのソフトボイスがサンケイホールブリーゼに響き渡ります。

この日(2010年5月20 日) はコバケンさんの古稀をお祝いする音楽サロン。ヨッサンが愛読しているクラシック専門誌『モーストリークラシック』8 月号で、音楽評論家の横原千史先生がこんな評を載せて下さいました。

“第1部「我が音楽人生」。冒頭からコバケンと吉川のトークが軽妙で、漫才のように楽しい。コバケンは要所でピアノを弾きながら人生を振り返る。4 歳の時、父の弾く「月の砂漠」で音楽に開眼。小林少年は多感で音楽に感動しては涙を流した。(前回この欄でご紹介しましたね!)…作曲の才能はあった。小4の時、啄木の歌「東海の小島の磯の白砂にわれ泣きぬれて蟹とたはむる」に作曲した歌曲を披露した。…第2部は愛娘、小林亜矢乃のミニ・ピアノ・リサイタル。プログラムは4曲だが、曲ごとにトークが絡む”

ステージ下手の椅子に座りながら、コバケンさんと一緒に亜矢乃さんの絶妙なピアノタッチに耳をそばだてていると、20 数年前、コバケンさんが一段と目を細めながら語った“我が娘亜矢乃ちゃん” を思い出しました。

(1984年のインタビューテープから)「子供達とのスキンシップってあまりないですネ。亜矢乃が“ママ、昨日…パパが私の部屋に入ってきたのに私のホッペも触らずにいっちゃった”って言ったんです。この娘(こ)は実にセンシティブに出来ている。ピアノうまいんですヨ!これが‼僕が言うんですから。僕の目から見てもうまい!今、ドビュッシー弾いているんですが、“ね、亜矢乃!そこ、ちょっと違うんだよな。ドビュッシーって、そこのところは、やわらかい風が吹いてきて、赤ちゃんの髪が、フ~ッとゆれるような、石をポ~ンと投げ入れると波紋が広がるような、それに(季節は)夏ではなく…秋なんだよネ”っていうと表現の効果がわかんないですよ。で、僕が弾いてあげると“フ~ ン…???”。後で母親に“あのね、パパはそういう風に言うけどネ、パパもそういう音になっていない‼”…鋭いご指摘で、まいっちゃう。」

そして「(亜矢乃さんが)一人前のピアニストになったら僕が指揮して、協奏曲をやりたいし、彼女のマネージャをやりたい」と語っていたコバケンさん。その通り、親子の共演を果たしている…あ~ァ羨ましい限りやなあ…と、ショパンを弾く彼女の背中と指先を眺めているヨッサン。隣で聴いてるコバケンさんはまさに親父さんの顔でした。

『モーストリークラシック』の横原先生の評から。“第3部は再びコバケンさんとヨッサンのトークで、京都市響との第九(この欄8月1日号でご紹介)、作曲家のことなど盛りだくさん。最後はコバケンのきれいなテナー(伴奏は勿論亜矢乃さん) でトスティを歌って締めくくった。コバケンの魅力満載の楽しくてためになる音楽サロンであった”

音楽サロンが終って10 日ばかりたった頃、コバケンさんから電話。“6月26 日に(岐阜県)多治見で亜矢乃とトーク・ピアノコンサートをやるんですが、司会をお願いしていいかしら?”二つ返事のヨッサンは、日本で最高気温を出した( 40 ・9度)町とは知らず、涼しい心地で出かけて行くのでした。(よしかわ・ともあき FM大阪くらこれ企画プロデューサー)

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5月20 日の音楽サロンで、小林研一郎、亜矢乃さんと、司会のヨッサン 撮影=小柴一良

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