018 「第九」を愛しすぎて作曲家を断念 小林研一郎①

なにわのヨッサン とっておきの【音楽交遊録】・・・・吉川智明(018)

ジャズ界の巨匠ハービー・ハンコック(前号)と同じ1940 年生まれ…といえば、我等が指揮者小林研一郎…コバケンさんを忘れちゃあいけません。

プロフィルにはこうあります…小林研一郎:東京芸術大学作曲家、指揮科を卒業。1974 年ブダペスト国際指揮コンクール第1位…と無表情な字体が並んでいます。なんでや?何で作曲家の道を歩まずに指揮者になりはったんやろか⁉ヨッサンが愛情こめて制作した(1984 年12 月に放送した)特別番組に耳(この場合は紙面だから目)を傾けてみて下さい。

CC(番組前に流れるCMのこと)提供2社CM 60 秒ずつ

コバケンのお喋り「ベートーヴェンの第九を小学4年生の時に聴いて、それから物凄く大事にしてるからネ、いい加減なことでやられちゃうのが嫌なんだよネ。僕、一生懸命取り組んでるつもりです。」(…と大学生合唱団のみんなに語りかける)

ヨッサン「年末特別番組 ザ・シンフォニーホール・デジタルライブ“コバケン炎の第九”この番組は(提供クレジット)でお送りします。ご案内は私吉川智明です。(…と真面目なアナウンサー風)

前CM:2社提供のCM 60 秒ずつ流れる

ヨッサン「…京都の12 月は道行く人々の表情まで凍てつくような厳しさがあります。ただここに一人の男がいて300人近い人々の心に灯をつけて、周りの空気を信じられないほどに熱いものにしています。

指揮者、小林研一郎。197 4年ブダペスト国際指揮者コンクールに優勝。ハンガリーやオランダを中心にヨーロッパで活躍。私達はそのコバケンの名で親しまれている小林研一郎と京都市交響楽団の第九のリハール風景を取材…指揮者用の譜面台にセットされたマイクは小林研一郎の熱い息遣いとオーケストラの生々しい反応を鮮やかに伝えていきます。ひと時、皆さんの耳を指揮者の譜面台にもぐり込ませて第九の練習風景にご案内しましょう。」

第九のリハ:第1楽章の冒頭17 小節から~“ティ~、ティ~ ン(唸り声がクレッシェンドしていく!)~(オケがより迫力を増していきます)~第2楽章~” もうチョッと弱く…(オケが反応)“ありがとうございます”~ “下からクレッッシェンドしましょう”~(オケの音が躍動感に溢れる)~FO(フェード・アウト=音が次第に消えていく~)

ヨッサン「子供の頃、第九によって音楽家としての人生を決定づけられたという指揮者小林研一郎はベートーヴェンへの思いをこう語ります」

コバケン「僕にとってはネ。最初、第九との出会いは衝撃的だったんです。小学4年の頃、第九を聴いて作曲家になろう… と!(その後、作曲科に入ったけど)第九シンフォニーを愛しすぎたがゆえに作曲家としての道を断念することになった。現代のコンクリートミュージックに耐えられなかったんですネ! 自分の精神状態があまりにも第九が好きだったために指揮者の道を歩み始める訳でしょ。第九シンフォニーは恋人みたいなものだし、いつも大切にしていたいし、それだから合唱団の人がネ、慣れてきたみたいに歌ったりすると雷落とすんです。」

合唱団とのリハ:第4楽章の有名な歓喜の歌~コバケン“死んでんじゃないのか‼死んじゃってるよ声が‼あいつ…泣いちゃうぞ!あいつだって… (もとい)ベートーヴェンが”~ 合唱団もう1度歌う~(コバケン見本を聴かせる)~(合唱団の顔つきが変わるように)歌う~ “そのぐらい出来るんだったら前からやってきたらいいじゃないか!とってもいいぞ‼” ~FO(番組はまだまだ続きます)

第九への燃え上がるような熱き思い…そして実に絶妙な“アメとムチ”…ヨッサンは感動したのでありました。(よしかわ・ともあき FM大阪くらこれ企画プロデューサー)

kobayashi

小林研一郎

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