147 「第九」聴き「作曲家になりたい!」 西村朗 ②

なにわのヨッサン とっておきの【音楽交遊録】・・・・吉川智明(147

あなたの子供時代の夢は何でしたか⁉“運転手は君だ車掌は僕だ~”かパイロット、スチュワーデス?プロ野球選手?はたまた第九(もとい)大工さん?
ヨッサンは小学4年の時に“野口英世”の伝記を読んで憧れた“将来は医学博士になりたいナア…”と。(語気が弱いのは自信のない表れで、理数系が弱いヨッサンがなれる訳がない)でも野口英世の“まて己(おのれ)、咲かで散りなば何が桜”の句は後年のヨッサンの背中を押してくれました。(まさか50年後に千円札でお世話になるとは)

日本を代表する大阪生まれの作曲家・西村朗先生は小学5年の時、ベートーヴェンの第九のフレーズの摩訶不思議な和音に取り憑かれ“お母ちゃん第九のレコードこうて!”…遂に手に入れたが機械(蓄音機)がない…前回ここまで。
N:西村朗(あきら) Y:ヨッサン
N「そのレコード店はポータブルのプレイヤー…今、あんなんないですよね!ターンテーブルが回って…それも一緒に買うてもらったんですよ。ポータブルのやつが7000円、レコードが2000円で9000円。で、聴いた…第九の4楽章のどこだか(あの和音が)分からん。聴いているうちに他のところもいいなあと思うようになってね、あれ長い曲でしょ70分ぐらい。子供にとって、途方もなく長い。それを聴き通すようになって…それで作曲家になりたい‼と思ったんです」
Y「親にゆうたんですね⁉作曲家になりたいと、ほんなら⁉」
N「親父が“お前なにゆうてんねん”(完全に大阪弁に戻った西村先生)“確かこないだまで比叡山行って坊主になるゆうてたやないか!!?”…伝教大師(でんぎょうだいし)最澄を尊敬してましてね!天台座主(延暦寺の貫主=住職)になりたいと思ってた」

いやはやまいった!小学生にあるまじき将来の夢。
N「親父にさんざん馬鹿にされたんですが、諦めないで作曲家になりたいと。でも家には楽器も何にもないでしょ、あるのはたて笛ぐらい、ハーモニカか。しょうがないからたて笛のソナタを書こうと思った…けど、音符の書き方が分かれへん。音符の書き方から勉強せんと作曲家になれないナア…」
作曲家になる夢は断念か!??
N「その頃にね、2枚目のレコードをこうたんです。これが決定的だったんです‼それは新世界交響曲、ケルテス指揮のウィーンフィル。(Y「ヨッサンもこうた‼」「そしたらね、スコアが付いていた。あれ見て仰天したんですね、“ワ~ァ、全部、音書いてある”ティ~ララ~ティララ~家路のメロディだけでなく20段ぐらい書いてある!“ウワ~アッ、これはえらいこっちゃ〟音符の書き方や、ゆうてる場合やないわ!作曲勉強せんと絶対書けない!と思いました」

さて、本気で作曲の勉強をせにゃならん…ここからいよいよお母ちゃんの出番です。
N「母は公務員やってたんで世の中に通じるところがありまして、その為(作曲の道)に楽器、ピアノがいる。心斎橋に三木楽器があり、ミヤコ楽器、ヤマハもあります。最初にミヤコ楽器に行ったのかな、そしたらピアノが一杯ありますね。母が〝この子、作曲やりたいゆうてるので、ピアノ買うから(作曲の)先生紹介して‼”とゆうたんです。店員が〝あッ、丁度いい先生がいる。最近流行歌ですごう(凄く)当って荒木一郎育てたり…”って仰った。〝ちょっと違うな、でも先生ってそんなもんかな~ァ、じゃ、そうしようかナア”と。もし、そうしてれば、私、ここにいなくて、もっと豪邸に住んで弦哲也先生みたいになってますよ〝天城越え”とか、あんな感じの曲で儲かってる筈なんですが…」
そうならなかったのは何故か⁉これがまたおもろいのであります‼(よしかわ・ともあき FM大阪くらこれ企画プロデューサー)

147nishimura

西村朗さんが買ったのと同じケルテス指揮・ウィーンフィルの新世界(スコア付き)。1965年1月3日、お年玉で購入したヨッサンの宝

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