161 織田作同級生が語る「夫婦善哉」秘話 田尻玄龍住職 ②

前号で告白した、オダサク(織田作之助)の家の近所に住んでたT子とヨッサンはどないなったん⁉って聞かれた。この件はま~ァ(後日談も喋りたいけど、ヨッサンは話しだすとカッパえびせんのように止まらない)ので置いといて。オダサクにこんな驚くべき事実があるとは知らなんだ。

大谷晃一著の織田作の伝記「織田作之助」(沖積舎)163ページに書いてあるのだ‼

「長編『青春の逆説』の第一部『二十歳』に、大阪玉造にある製薬会社の広告文案係採用試験に落ちる話がある。これは、森下仁丹株式会社のことで、その宣伝部へ一番で入ったと、吉井栄治に自慢した。が、これは見栄のようである…」

もし織田作が仁丹に採用されていれば、どんなキャッチコピーを作ったんだろうか⁉もし作っていたら今年の創業120周年記念の目玉展示物になっていただろう!!?それに玉造界隈を徘徊した織田作が“エンタツ、あちゃこ”が登壇した演芸場や玉造稲荷神社やうまいもん店、日の出通りを歩くおっちゃんおばちゃんを描いた物語を作ったかも…なんて創造の翼が広がってくる。

さて、“おばちゃん”ちごて“おばはん”と呼び捨てる言葉がバンバンは発射されるのが織田作之助の小説「夫婦善哉」…妻子ある化粧品卸問屋の若旦那“柳吉”と芸者の蝶子が駆け落ちし、転職や借金を重ね苦労を重ね、寄り添いあって夫婦になるまでを描いている名作。(まだ、読んでない…とはいわせまへんで)

戦前のミナミの匂いを撒き散らしながら安い有名店が満載…読んでいると、まさに昭和戦前の“ミナミぐるりマップ”や‼(1940年発行。続編が発見され2007年発行される…なんと、直筆原稿付き、一見の価値あり…読みづらい。舞台は別府温泉)

では織田作の同級生で楞厳寺(りょうごんじ)住職田尻玄龍さんの約70年前の“夫婦善哉”読後感は?

「あれはね、実は彼の一番上のお姉さんが竹中タツさん、次のお姉さんが山市千代さんで、その人をモデルにして書いたと。下寺町の角あたりに大阪文楽劇場のある付近でおられたんです。子供の時から家が貧乏だったから、北新地にやられて、そこで芸を仕込まれた。芸は達者である。

織田が死んだ後、私、たまたま別府温泉に行ったことあるんです。オダサクも三高(現、京都大)在学中に(結核の)養生にお姉さん(千代)とこへ行った。そこへ(私が)立ち寄った。そしたら“文楽”という小ぢんまりした旅館がありましてね、えらい喜んで下さいまして、玄関入ったら“文楽人形”がガラスケースの中に飾ってあって、2階の大広間行ったら床の間に朱塗りの見台が1つ置いてあった…NHKの昭和28年“素人浄瑠璃(義太夫)で入選のご褒美で頂いた…それ程、芸達者。千代さんの性格は、小説に出てくるような、ご主人に実直に仕えた。この姉さん夫婦をモデルに〝夫婦善哉”を書いたようですね。織田作は〝ワシの書いた小説にはモデルなんかアラヘンデ~!あれはみな創作や”ゆうてましたけど、実際読んでみて〝あ!お姉さんをテーマにしたなあ〟と、こう思いました」

まさに生き証人の言葉ここにあり。

映画「夫婦善哉」 原作:織田作之助 監督:豊田四郎 主演:森繁久彌(いや~ァ驚いた!森繁さんと織田作は共に1913年生まれ)、淡島千景 音楽が何と団伊玖磨 1955年公開。

続「夫婦善哉」で主人公夫婦は別府温泉へ。実はヨッサンも幼少の頃、別府の湯で育ったのだ!ヨッサンの初めての1人旅も別府。織田作が眠る楞厳寺の真隣の中学へヨッサンは通っていた。

昔は“あんなぐうたら許せん!”とおもたけど、いまは“こんな男もええやん!”と主人公柳吉を思うヨッサンでした。(よしかわ・ともあき FM大阪くらこれ企画プロデューサー)

 

織田作の代表作「夫婦善哉」

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