110 「親の七光り」への悔しさ原動力に 宮川彬良②

6月17日は父の日。親と子を例えた言葉って結構あるんだな…“瓜(うり)の蔓(つる)に茄子は生らぬ”“鳶(トンビ)が鷹(タカ)を生む”“親子鷹”“親の七光”に“蛙の子は蛙”…もうやめとこ。ヨッサンは“瓜の蔓”やろなあ…平凡な親から非凡な子が生まれる道理がないわいな。

さて、音楽家…それもクラシック音楽の長い歴史の中で“親子”と言えば…バッハ、モーツァルト、ヨハン・シュトラウス…。

その中で昼メロやワイドショーのネタになりそうなのがヨハン・シュトラウス親子!!そのワルツ王シュトラウスの親父さんヨハン・シュトラウスⅠ世は結婚1回、同棲1回、子供12人。(こういうのはウィキペディアには載ってない)。正確にいいますと、結婚したアンナと子供が5人(その長男が後のワルツ王)通ったり同棲したりの女性との子供が7人。19世紀前半のウィーンでウインナワルツは空前のブームに。親父シュトラウスは…鳶(とんび)ちゃうねん、鷹のように…飛ぶ鳥を落とす勢いで、次から次へ発表するワルツやポルカが大評判に!ヴァイオリン片手に颯爽とバンドを操る指揮姿に女性達(老いも若き)も我を忘れて狂喜乱舞したとか!(もとい…ワルツに興じるのでした)

そんな旦那を見て、妻アンナも“よ~し、長男も音楽家にさせるわよ!”と教育ママになって密かにヴァイオリンのお稽古。ある日、親父シュトラウスが帰宅すると誰かが上手いことヴァイオリンを弾いている…“誰や⁉”ドアを開けてビックリ!な、なんと息子のシュトラウスが…。“俺はあいつを音楽家にはさせへんぞ!ええか!あいつは銀行家になるんや‼”この日を境に別居=愛人宅が本拠地になったとか。さ~て、その後のワルツの父とワルツ王は…(“ヨッサン!はよ今回のゲストを紹介せなあかんデ!”と編集長の声)

さてさて、現在の親子鷹とも言うべき作曲家・宮川泰(ひろし)・彬良(あきら)の場合はどないやろ?…先日、久しぶりに再会した彬良さんが、亡き親父について語ってくれました。

M:宮川彬良  Y:ヨッサン

Y「親父さんの背中を見て結局、作曲家になったでしょ⁉ちっちゃい時から“ザ・ピーナッツの歌、歌え!”って言われたの?」

M「そ、そんな無茶な親父じゃないですよ。ま、逆に超放任主義というか、母親が一生懸命育てた訳ですけど、僕の起きてる時間にはまず帰ってこない。たまに帰って来ると僕の為にチョッとピアノ弾いてくれたり、口笛吹いて“フュ~”っと、スコア書いてサ、“そりゃ出来たぞ”って、BMW乗ってブ~ンって出て行くと、3時間ぐらいすると(TVつけると)“シャボン玉~~”って、さっき書いてた音楽やってんだもん、お父さんが!!!カッコいいでしょコレ」(シャボン玉ホリデー…1961~双子の女性デュオ“ザ・ピーナッツが主役の音楽バラエティショー。)

こうして21歳の若さで作曲家・アレンジャーになった彬良さんは周囲からこう言われたとか…

M「よく、親の七光りって言うじゃない!”あっ、お宮(宮川泰)の息子“って僕は言われていたの…業界人に。”あァ、あんたがお宮の息子⁉いいアレンジするんだってねェ“と言われると、次の日、皆んな知ってる訳ですよ‼所が、これは非常に怖くって”お宮の息子?あれはもうダメだね“って言われたら、恐らく次の日、全員知ってるんですよ。だから(針のムシロのように)とんでもない細い椅子に座ってる感じですね。(これが)親の七光りだと思って”クソ“って…それが凄い”原動力“になりましたネ」…そう!能ある鷹は爪を出せ…やねん‼

次回は、宮川さんの大阪市音楽団への熱き思いをたっぷりと!(よしかわ・ともあき FM大阪くらこれ企画プロデューサー)

 

宮川彬良さんとスタジオで

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