高校野球を観ていると、あの日の涙が蘇ってくる…それもヨッサンの。
21年前の7月3日、巨匠朝比奈隆先生から“吉川さん!響さん(作家・音楽評論家)!3人で一杯やりましょう”と誘われた。こんな嬉しい(名誉な)ことはめったにあるものではない。市内ホテルB1の料理屋さん…これでもかと言うほどよく喋り、よく食べ、よく飲んだ…
その最中に朝比奈先生はこうのたまわれた。“いや~、実は甲子園の高校野球が近づくと思い出すんですよ‼(なんでやろ???ポカンとする2人)今から30数年前(正確には1958年)徳島商の板東英二と魚津高の…そう村椿が延長~で18回で引き分けて、再試合で徳島商が勝ちましてネ。そうすると、校歌が流れてくるじゃない。感激したナァ…あの校歌、実は僕が作曲したんですよ‼”(またポカンとする2人)
果たして、その年の夏、岩手の久慈商対徳島商の一戦。8回が終わって、7対0で久慈がワンサイド。“もうアカンわ…何とか徳島商の校歌が聴きたい”祈りが現実となった。“9回サヨナラ~徳商が勝ちました‼”ホームベースを挟んでくしゃくしゃの笑顔…勝者の栄誉を称える校歌が流れ出しTVのテロップに、夢に見た名前が記されたのです“作曲:朝比奈隆”…ヨッサンもくしゃくしゃの涙が。正夢だった。
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朝比奈先生からの正夢の証がここにある。先生から頂いた自筆のハガキと手紙の数々。先生は筆まめなのだ。大海原のように交友が広いのにちゃんと返事をお書きになる。筆不精なのに習字をやってたヨッサンが朝比奈先生に頼まれて「朝比奈隆」のお手本を書いた。そのお礼の年賀状には“今年のシンフォニーホールのPR用に書かされて(貴君の)お手本で半日かかりましたが、うまく書けませんでした”(朝比奈先生は左ききなのに毛筆や包丁、勿論、指揮棒は右手を使われる)
ある年(1991年)1月31日消印で先生から“手紙”が送られてきた。開けてビックリ!年賀状が飛び出してきた‼“文字通り老骨に鞭打っての舞台でした。往ける処まで行きます。新年の御言葉ありがとう”そしてメモ用紙がポロリ、一筆“新年早々にトンマなことで、ご笑覧に供します”年賀状の表書きには灘郵便局の張り紙が…“この郵便物はあて先地が記入してありません”愛すべきマエストロ…僕の“宝物”だ。
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さて、いよいよこの“音楽交遊録”もフィナーレ、野球なら9回の裏を迎えた。(アカン…筆が前に進まない。小腹も空いてきたので食べに行ってこよう…)
さてと、先日、ヨッサンのクラシック番組「おしゃべり音楽マガジンくらこれ!」(毎週日曜深夜1時15分から60分間)のゲストに朝比奈先生の長男で指揮者の朝比奈千足さんがやってきた。向かい合って喋っていると、あの日、あの頃の、なんと朝比奈隆先生と会話を交わしているような錯覚に陥ってしまった…それ程まで似ているのだ‼
そんな千足さんが大学4回生の時、卒業後の身の振り方に悩んでいたある日、親父さんと食事に。そこでガツンと言われた“音楽するならドイツへ行け‼”その時、食べた鰻の蒲焼は一生忘れないと言う。
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そう言えば、さっきヨッサンは小腹が空いて鰻重を食べている時“1日でも長く生き、1回でも多く番組を続けなさい”朝比奈先生の声がどこからともなく聞こえてくるような気持ちに駆られた。よっしゃ!これからもマイクを通しての交遊録を増やしていくで‼
大阪民主新報読者の皆様、永らくのおつきあい、ありがとうございました。
もしかしたら9回裏に同点!延長戦に入って、またどこかでお会いするかも!(よしかわ・ともあき FM大阪くらこれ企画プロデューサー)
ヨッサン直筆のはがき