033 気配りに感動の楽屋訪問 藤山寛美①

なにわのヨッサン とっておきの【音楽交遊録】・・・・吉川智明(033)

整理整頓が苦手なヨッサン… 写真は紙袋に“ドサッ” と入れっぱなし、CDは机の横に山積み。ま、エエ加減のO型の典型なのか?

その写真の中からこの“音楽交遊録”に使用する写真を見つけなきゃならん…これまた大変でございまする。

先日も仕分け?していたらヨッサンの高校時代のスナップが出てきた…ら、思わず笑ってしまった。自分の40 数年前の顔立ちが我が娘の奈津美にソックリなのだ!それだけでない…整理整頓がまるでだめ。それにエエ加減なところまでソックリ。

さて、ソックリといえば、演劇の世界でとてつもなく大きなお仕事をなしている父・娘がいます。それも顔立ちがソックリ!

その人の名は藤山寛美と直美の親子。先日、大阪松竹座に足を運び藤山直美のステージを観たヨッサンは転がるように笑い、目頭がじゅわ~ん。まさに父親譲りの役者振りに感動すら覚えてしまいました。

その親父の寛美さんが亡くなって今年は没後20 年。ヨッサンは幸せにも寛美さんの楽屋を訪れデンスケ( テープレコーダー)を回して録音したことがあるんです。忘れもしないあの日…。

20 年間にわたり1日も休まずに舞台に立ち続けていはった… あれは1976年9月。道頓堀の中座。

舞台が終えてからの録音ということで、放送室から舞台を観せてもらいました。ちょんぺい役の寛美さんは、テレビ中継でないからか、出るはデルはギャグがポンポン飛び出してビックリ。舞台がハネて楽屋にお邪魔してまたビックリ!劇団員の皆さん全員が整列して私たちを迎えてくれたではありませんか! なんと言う礼儀作法。

寛美さんの楽屋に通されてまたビックリ。広い、美しい(花々)…それに布団も置いてある。(家に帰らない日々が多い。何故なら睡眠3、4時間。帰ってる暇がない…とか)

インタビューが始まりました。劇団員の方が楽屋の雰囲気を出すために、拍子木の音やベルの音を鳴らしてくれるのです。これも寛美さんの気配り。テープが調子よく回っています…数分たったでしょうか…寛美さんが楽屋の暖簾の方に目線を移しました…誰もいません…なのに?…寛美さんが叫びます“いや、あの、いまちょとお話ししているからあとにして下さい!” …来客を断る台詞…そう!演出なんです。リアリティを出すための。もう、感動的です!このインタビューに充実感を出すための。

そんな寛美さんにリクエスト曲を求めると…こんな意外な答えが…「私ら、ポピュラーっていうのはねえ、というよりも、やっつりやってる芝居が演歌、浪曲ですからね、何か私がね、やっぱりその~ポピュラー聴いているとね、イメージが違うでしょ?

私はホント言えばね、クラシックというか、まぁカラヤンであるとかベートーベンとか。いやぁ、笑いはるでしょ?私、わりかた好きなんです。ですから、うちの家に来て頂いたら、みんなビックリしはるんですヨ!!?だって、新内があるかと思ったらね、ベートーベンがあったり、カラヤンがあったり、ほれからまぁ、そうかと思うと浪曲のあれ(LP)があったり、演歌があったり、落語全集があったりしますからね。だから片寄るんでなしに、色んなものを聴いとかないかんと。だから尺八のやつがあるかと思えば大正琴があるでしょ。そやからね…あのォ、ホレ、何か、あの~ 癇の強い人ねぇ。… カンツォーネのなんぞいい曲があったら聴かして下さい」

まさにオールラウンドで音楽も吸収する貪欲さ!頭が下がりました。次回は、寛美さんの名語録をかみ締めていただきましょう。(よしかわ・ともあき FM大阪くらこれ企画プロデューサー)

fujiyama

8千人が参列した藤山寛美さんの劇団葬 (1990年5月28 日、中座)

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