032 時間も忘れたインタビュー シルベスター・スタローン

なにわのヨッサン とっておきの【音楽交遊録】・・・・吉川智明(032)

ヨッサンが“このお人にインタビューしたことがあるねんデ!”と言ったら“うそ~!” “ほんま?”という声が返ってきたメガスター…その名は“シルベスター・スタローン”。

「ロッキー3」のプロモーションで来日したとき(198 2年)のこと。今はなき“グランドホテル”の3F。凄かった記者会見…新聞社(と名のつくとこは全部)、TV局(関西にあるとこ全部)、ラジオ局(FM大阪はじめ関西の全部)、雑誌(数えたらキリがない)等々…数百人!!?

約1時間の会見後、各社単独インタビューとあいなりましたが、希望が多すぎて足切り。“ラッキーしまくり千代子⁉” (古いなあ)で、ヨッサンはインタビューできたのです。各社持ち時間は10 分間、絶対絶対10 分。ヨッサンは8番目…スタさんは“ロッキーの見所は?” “制作費は?”と判で押した同じような質問にグッタリ顔。所がヨッサンの“ファーストクエッション”で目が輝き、笑みが溢れ、ジェスチャーを交えながらスクリーンと同じようなあの独特の口調(ちょっと舌ったらず)で答えてくれたのです。

愛する妻“サーシャ”さんとの出会いについて…「凄く寒い夜、失業でどん底にいたんだ。髪は腰まで伸びるぐらい。映画館がたまたまあって、すごい美人が働いていた。黒い服を着た美人でネ!こちらはヨレヨレ。でも僕はその場で“結婚しましょ”彼女は“キャ~‼”(あたりまえや)で、支配人に放り出された僕は、家に帰ってちゃんと髪を切って身だしなみを整えて、その映画館で働くように。それから彼女をつけ回した…何週間も何週間も。

ある日、捕まえてギュッと引っぱったら、袖が破れちゃった。5ヶ月間、口も聞いてくれなかった。(そら彼女怒るわ)とてもとても長い求婚期間で4年間かかった。(スタさんのシツコサに負けたサーシャ)そう27 歳の時、西瓜を食べながら言った“もし、今週末、何もすることがなかったら、結婚しない?”(ドタッ… サーシャ曰く) “ダメ、そんな求婚は!ちゃんと片足を膝ついて、お願い結婚して下さい”と。僕はちゃんとやったヨ!

結婚式?お金はないから、友達の家に行って揺り椅子に座って皆の前で誓った。デート?タダの事は全部やった。公園行ったり、ジョークいったり…。」

ここで素朴な(というか、この信じられない結婚劇に)質問?どうしてサーシャさんはO Kサインを出したのか⁉

「僕がただの俳優だったら、とても結婚なんかしてなかっただろうネ。非常に不安定な職業だし…。当時“ロッキー・ワン”のシナリオを書いてた訳。彼女に見せたらすごく感心して、これだけ書ける人ならって事で、そこに惚れたんだと思うヨ!当時、彼女にはボーイフレンドも沢山いたし、それもお金持ちの…でも、今はそのお金持ちを使う立場になったんだ‼ (笑)」

目じりを下げながら(とっくに目がたれてるけど)“夫婦愛とは?” の質問に「僕が舟なら、奥さんは帆みたいなもの。帆があって進むことが出来る。夫婦は…笑いを忘れずに、真実をいう事。ウソをいったら、それで奈落におちてしまうんだ!」

なんと美しいラブストーリー、素晴らしい夫婦舟でしょう。所が、次作「ロッキー4」(写真)では18 歳年下のモデル、ブリジット・ニールセンと共演し、浮名を流し、サーシャさんから三行半を突きつけられたスタさん。慰謝料が大変だった⁉ …いやいや「ロッキー4」のギャラは18 億4800万円。たれ目のスタさん、今だ落ち目になってませんネ!

この時の通訳は字幕翻訳でお馴染み戸田奈津子さん。スタさんも戸田さんも時間をわすれて10 分以上のインタビューになったのでした。(よしかわ・ともあき FM大阪くらこれ企画プロデューサー)

rocky

「ロッキー4」のサントラのCDジャケット

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