107 念願かなった喜劇出演 五木ひろし

こないだの“御堂筋フェスタ”(13日)は、道路が開放され心も解き放たれた楽しさが溢れていました…が、ぶらり人々の賑わいを掻き分け散歩していたヨッサンに、ひりひりと(いや)グリグリと痛む光景が飛び込んできました。

周りを白い塀(というより板…フェンス)で囲まれた初代新歌舞伎座(1958~2010年)の江戸時代にタイムスリップしそうな…思わずシャッターを押したくなる風貌は、今は淋しそう。

そういえば…ヨッサンが布施市(現在の東大阪市)に住んでいた小さい頃。親父に連れられて難波へ出かけることは遠足にも似た気分やった…近鉄電車で終点上六(現在の大阪上本町駅)まで出て、そこから市電に乗り換え東から西へギシギシと千日前へ。

大劇(大阪劇場)の前にあった“うなぎの豊川”が極上のご馳走やった。道頓堀を歩くと浪花座~中座~角座~朝日座~(弁天座はもうなかった)なんやしらんけど、日常の空間に美術館があるようなアートな気分にはしゃいだもんやけど…劇場の中に連れてってもらった記憶はない。けど、根暗なヨッサンにとって、あの頃TVで観る藤山寛美さん率いる松竹新喜劇は笑みがこぼれるひと時やったナア…。

そんな寛美さんと松竹新喜劇を涼しそうな眼差しで語るお人がいてはります‼な、何と演歌の大物歌手…五木ひろしさん(64歳)。彼が上六で移転再開した新歌舞伎座で松竹新喜劇に特別出演!座長公演をやるという。(6月1日~6月25日)そこで小生の番組にご登場頂いて、熱っぽく語ってくれました。

H:五木ひろし  Y:藪下哲司(ヨッサンは収録係り)

Y「今回で3回目、新喜劇を取り上げる訳は??」

H「喜劇が大好きで、大阪というか、関西でも“夫婦善哉”なんかやったり、オリジナルの喜劇を作ったりしてきました。もともと松竹新喜劇が大好きだったけど、いつかは大阪で松竹新喜劇のお芝居をやりたいナアと思っていました。それ以前から藤山寛美さんとご縁はあったんですけど、亡くなられて17回忌の年に、松竹さんの方にお願いして、実現したのが今から6年前の初演だったんです」

Y「それが五木さんの人柄が寛美さんの人柄にあったというか、ファンの方も喜ばれたと聞いているんですけど…」

H「僕はこのお芝居を演ずるに当たっては、少しでも藤山寛美さんのお芝居に近づけられればと。それから、少しでもこの名作を、今の時代、次の時代へと繋げていきたい…そんな思いで、これをやる決意をしました。で、今はビデオ・DVDがあるので、それを何回も観て、僕なりに研究もし、勉強もさせていただいて。当初は冒険といえば冒険ですし、チャレンジだったんですけど、やっぱり、いい作品っていうのはどの時代にでも皆さんに共感できるものがあるし、涙と笑いという、ある意味では醍醐味というか、そんなものを感じていただけました」

だからこそ、今回、6作目を迎えることが出来るんや‼

Y「寛美さんとのお付き合いは?」

H「TVで観てず~っとファンでいた訳ですけど、僕が“五木ひろし”になって(芸名:松山まさる→一条英一→三谷謙→五木ひろし)、暫くしてから(寛美さんの)公演を観に、楽屋にご挨拶に行って、正式にお話しをしたのが最初。(そのあと)私が公演を客席で観ていた時に、舞台から私が来ていることを紹介して下さって、ビックリして立ち上って、お客さんにご挨拶を…」

何故か手をぎゅっと握りしめながら語る五木さん!なんでや?って…演歌歌手は“こぶし”が命。

ヨッサンのカラオケベスト5に五木ひろしの大ヒットが2曲も!“横浜たそがれ”“長崎から船に乗って”皆さん一度聴いてくれはる!!?(よしかわ・ともあき FM大阪くらこれ企画プロデューサー)

 

五木ひろし特別出演の松竹新喜劇のチラシ

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