なにわのヨッサン とっておきの【音楽交遊録】・・・・吉川智明(036)
1979年、ヨッサンがFM 大阪で担当した「タカラジェンヌの会いたい人」のコーナーで、但馬久美(リンちゃん)と対談した俳優の森繁久彌さん。そこで意外な事実が…。
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「父は江戸っ子、母が大阪(枚方)、小学校と中学校は大阪でしたから、大阪で生まれ育ったと言ってもいい。(成る程、それで、映画“夫婦善哉”の柳吉がはまり役…懐かしい大阪弁が一杯でした!)
僕、役者になろうとは思わなかった。北野中学の秀才(!) だったからね、秀才じゃないか…1年落第したから。僕は科学が好きでね。理工科へ行こうと思ってね、それがどういう訳だか間違ってね、“お前、器用だから面白いから(演劇に)出ろよ”ひ弱い…夫婦善哉の柳吉みたいなもんで、あってもなくてもいいような男でしたよ。ボンボンやしね、どうしようもないしね。
それが生まれ変わったんですからね、NHK行ってアナウンサーになって、それで外地へ行って、満州の放送局にいて、ま、何もない所で、初めて生きてきたということですよね。
そして、引き揚げてきたんです。終戦になって、祖国を失って。それがこの(当時、上演中の)“ 屋根のヴァイオリン弾き”になんとなく滲(にじ)むんでしょうね、その体験は大きかったね、こんなもの求めて体験できないもんね。死ぬような目に何度も何度も遭ってね、ま~、幸いにも生き残ったんだから、せめて生き残ったこの命を、なんか皆に全部私の喜びを分かてる仕事が出来れば、こんな幸せなことはないわね!」としみじみと熱く語る森繁さん。
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こんなことも言われました…
「人間はね、歳取ってもやれる生活の設計をしていかなきゃいかんと思うのよ。たとえば、エスキモーの言葉を私は研究しますってね。こないだ、75 歳のお爺さんに会った。鈴虫を繁殖させることをやってるわけよ、今年は1万5千ほど冬に繁殖させたっていうんだね。そのうち3千匹を山の上の神社に放すんだって。それで村の人に、町の人に聴いてもらいたいっていうんだね。そしたら小中学生が“繁殖の仕方教えてくれ”って。お爺ちゃん忙しいんだね75 歳だけど。たった1匹の鈴虫が人生を変えるわけだよ。私だって、この役者がダメになったら次に何やろうかという設計をちゃんと持っている訳だよ…」
ただただ頭が下がるばかりなり。最後にこんな名語録を…
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「あなた、この“屋根の上のヴァイオリン弾き”を観て感動した。私たちもアンコールの中で感動している訳。僕達が感動しているのはね、自分の心の中で感動している。(と思っていた)
そしたら、フルトヴェングラーという人の音楽ノートを読んだ。フルトヴェングラーって有名な指揮者です。もう亡くなりましたけど。世界でこれほど凄い指揮者はいないと言われている、そのフルトヴェングラーの音楽ノートの中に…“人間的感動というのは、その人の内部にあるのではない!”(“ない” を強調)“人と人との間(あいだ)にあるのだ”って。もう、打たれましたよ僕…この文句に。
だからカーテンの時にですね、コールされてる訳でしょ! アンコールとか、あるいはカーテンコールとか、呼ばれているから何度でも出ますよ、嬉しいから。その中で盛り上がってくるのはですね、両者の“間”に感動があるのね!私たちは観た!あなた方に観てもらった! …というものが、お~きな感動の渦になって。
この言葉はね、大事な大事な言葉だから、宝塚の人も自分が感動しているんだと思わないで、人と人との“間”に感動というものがあるということをですね、お土産にお話ししました」。まさに森繁さんと我々の間(マイク)に感動が湧きあがりましたっけ。(よしかわ・ともあき FM大阪くらこれ企画プロデューサー)
自作の「知床旅情」の歌詞が書かれた森繁久彌さんの直筆色紙