004 名歌手の恋愛、健康法 淡谷のり子②

なにわのヨッサン とっておきの【音楽交遊録】・・・・吉川智明(004)

ヨッサンは野球が大好きやけど、最近は個性や存在感のあるホンマモンの選手がなんや少なくなってきた。ミスター長嶋や世界の王、怪童・中西太、安打製造機・張本勲、牛若丸・吉田義男、ヨッサンもマイクを向けたサブマリン・山田久志や世界の盗塁王・福本豊、一緒に生きたあの名選手達は、愛称やキャッチフレーズとともにヨッサンの記憶に今も残っています。

ならば、日本の歌謡界は?存在感のあるホンマモンの個性溢れる名歌手はおるんかいな?確かにスタイルはエエ、男前にベッピンシンガーもいるけど、“あんさん!歌の勉強をもっとしなはれ”と言いたくなる。促成栽培でデビューするシンガーが多すぎるんとちゃいますか!? たたき上げられた歌手ってあんまりおらんわナア…。

そう!淡谷のり子さんは30 年も前にこう語ってくれました。

“今の歌手は歌屋です。ポット出なのは歌い手とは思えません。土台があって唄って下されば、これは歌手!! 今は低級、年々低級。体操付き唄ですヨ! 弟子はいません。もう教えないんです。“あなたの唄はこうなのよ、あ~なのよ”とその通り(ヘタな唄い方で)に唄うの、ひつこく。自分が疲れちゃう。自分の唄がヘタになるの…”

痛烈パンチ発言に仰天発言。“実は私、自分の唄聴くのイヤ!うまいと思ったことありません! 50 年間。私ネ、これからも(東京音楽学校時代のように) クラシックを勉強したいの。あのクラシックを勉強してた時の喜びは何物にも代え難い。流行歌さんざん歌って、郷愁持ってますネ…”まいった!

そんな淡谷さんに、音楽学校時代の恋愛についてマイクを向けると…“恋愛?恋愛なんて… 食べるのがようやっと。いかに男の子をだましてお金を巻き上げてやろうかと考えたこともありました。『明日、私、学校… 来れないかも』『どうして?!』『だって…電車賃ないもん』そうしたら、チョコレートとか手紙の中にお金入れてくれたんです。そういう悪い事を覚えました。貧乏っていやですネ”

打ち震える寒さを体験した青春の頁を、屈託のない笑顔で振り返る淡谷さんでした。

さて、もり蕎麦3銭、ゴールデンバット5銭(煙草です)、泉鏡花が「婦系図」を、夏目漱石が「虞美人草」を書いた明治40 年(1907年)に生まれた淡谷さん。「ブルースの女王」として90 歳近くまで気の遠くなる現役を、それもホンマモンの圧倒的存在感を発揮し続けた淡谷さんの長寿の秘訣と健康法を伺って、またまた唸るヨッサンでした。

“健康法?そう、酒・煙草は昭和13 年の5月13 日にやめました。(なんで、こんな記憶力がエエねん!? )初めはみんなから、きっと三日坊主だろうと言われてたの。でもやめました。でも正直言って、ホントは吸いたいの!だから煙草買って人に上げるんです。お酒もネ、若気のいたりで、ステージ出る前に、ウィスキー半分あけてたんです。私、酔わないんです。キッパリこれもやめました”唖然…。

さてさて、“ 食後の睡眠は銀、食前の睡眠は金”と言ったのはロシアの文豪トルストイですが、兎に角、淡谷さんはどこでも寝ることが出来るお人で、車だろうが、電車に飛行機…食べ物は何でもござれ。ならば、歌唄いにとって喉に良い食べ物は?

“お茄子は喉に良くないなんてウソですヨ!要は睡眠とお肉!! 声帯の栄養っていうのはお肉以外にないんですって!! 痩せちゃいけない…、声帯も痩せるんですヨ!だから私は太っててもガマンしてるの(笑い) !! ” と、淡谷さんはくったくのない笑顔で語るのでした。

鉛の靴を履きながら向かった楽屋。収録を終えて、またまた90 度のお辞儀をなさる淡谷さん。ヨッサンの足取りは、クッション付きの靴を履いている気分でした…。(よしかわ・ともあき FM大阪くらこれ企画プロデューサー)

H_Yoshikawa

淡谷さんが、毛筆で気持をこめて書いてくださった色紙。ヨッサンの宝物。“枕辺のりんどうに秋深まりぬ”なんという流麗な筆致!!

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