155 ゆかりの人が語るプリマ 笹田和子 ②

FM大阪に耳を傾けていると思って読んで下さい…。スイッチ・オン‼

M:笹田和子が歌う(蝶々夫人の)“ある晴れた日に”が流れる~BGM

ナレーター 「1989年5月29日、フェスティバルホールの客席を埋め尽くした人々は、この日のことを決して忘れないだろう。そしてホールいっぱいに伸びやかなソプラノを響かせたヒロインにとってこの日の拍手は生涯忘れられないものになるだろう。笹田和子…日本のオペラの草創期に一世を風靡し、大輪の花を咲かせたプリマドンナ。そのプリマが過酷な癌との闘いを克服して25年振りにリサイタルを実現させたのである」

M:“ある晴れた日に”のコーダが~BGM

笹田 「皆さんに感謝の気持ちと、今、生きる喜びと、全ての方にご恩返しが出来たらと…(珈琲カップがカチカチと…声震わせて語る気持ちと一体になっている)

ナレーター 「そこには、歌に魅せられ、歌う喜びに生きるディーバの姿があった。その素晴らしい歌声とともに彼女の歩んだ人生を辿ってみたい。そして音楽の素晴らしさ、生きることの素晴らしさを彼女とともに見つめてみたい」拍手~アップ

ナレーター 「特別番組“あるプリマの歩み”」拍手~フェイドアウト

踏切の音~電車の警笛の音~電車が近づく~(クロスするように)どこからか聞こえてくる歌声が~

ナレーター 「阪急宝塚線曽根駅近くのマンション9階から、今日もピアノに合わせて歌声が聴こえてきます。軽く、伸びやかで、豊かな声、2、3年で70歳を迎える人の声とは、とても思えません。フェスティバルホールのリサイタルを前に笹田さんの脳裏には3度にわたる癌手術、入退院を繰り返した20年以上にわたる闘病生活や華やかだったプリマ時代の思い出が駆け抜けていきます」

マンションから電車通過音がかすかに聞こえる~

ナレーター 「笹田和子。その輝かしいキャリアは日本の戦中・戦後の音楽史そのものと言ってもいいかも知れません。昭和17年、東京音楽学校、現在の東京芸術大を卒業と同時に藤原歌劇団に入団。10年に1人と言われたその美声に惚れ込んだ藤原義江の強い要請によるものでした」

M:ワーグナーを歌う笹田の声がスニークイン(いつの間にか流れてくる)

ナレーター 「そしてワーグナーの歌劇“ローエングリン”のエルザ役で衝撃のデビュー!日本初のワーグナー歌手として絶賛され続いてタンホイザーやカヴァレリアルスティカーナなど、日本初演のプリマを次々に演じてきました。流れているのは30年近く前の彼女の歌声“ローエングリンのエルザのアリア”です。音楽学校で同級生だったシャンソン歌手石井好子さんは当時のことをこう語ってくれました」

石井 「なに~も言わないでパッと藤原歌劇団に入ってしまっちゃったしね、ローエングリン歌った時は、も~お、ビックリしましたよ‼歌の上手い人だと思っていたけど、あそこまでローエングリンに溶け込んでプリマドンナとしての貫禄で歌える人ってとても思わなかった。初めから大スターだもんね。感激した‼」

ナレーター 「藤原歌劇団の後輩で、現在この歌劇団の総監督である(大テナー歌手の)五十嵐喜芳さんは…」

五十嵐 「私、卒業したてでしたからね、(笹田さんは)雲の上の人のようで近寄れなかった感じでね、第1回のカヴァレリアルスティカーナの公演のあとに2回目があったんです。その時に笹田先生がカヴァレリアのサントゥツァを歌われまして、トゥリッドゥが私だったんで、なにしろ私はペイペイでしたからね、1番最初に(相手役が)大先生大先輩ですから、ウチのお袋が凄く心配しましてね、当時手に入りにくかったお饅頭を10個、お袋が(笹田さんのところへ)持ってった思い出がありますよ。笹田さんは憶えてらっしゃらないと思いますけどね」…続く。(よしかわ・ともあき FM大阪くらこれ企画プロデューサー)

155sasada

米進駐軍公演でプッチーニの「蝶々夫人」を歌った笹田和子さん (1948年、東京帝国劇場

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