145 いじめに悔し涙の大学時代 飯森範親③

なにわのヨッサン とっておきの【音楽交遊録】・・・・吉川智明(145

“いじめ、体罰”問題が全国でうめき声を上げています。火のような怒りを感じます‼昔から学校内で“てんご=いたずら、悪ふざけ、嘲笑、蔑視、部活のシゴキ…”は確かにあった。ヨッサンも悪ガキぶって学校の昼休みに数人で餃子を食べに行ったり、喫茶でブランデー入り紅茶を飲んで授業に間に合わせ、女の子に息を吹きかけて“クッサ~”と言われたり…、おいど(お尻)の左側に出来た大きなおできをクラスのお調子者に叩かれ、あまりの痛さにヨッサンは泣いた…おできの手術した時、看護師(女性)に“このこ、きたないおしりしてるわ”と言われた時は、ホンマ傷ついた。今でもお風呂屋さんへ行った時は前を隠さずお尻を隠す…嘘や‼(後年“小さいことにくよくよするな”…リチャード・カールソンの名著を読んでつくづく実感)

日本の楽壇を牽引している名指揮者・飯森範親(のりちか)さんは才能があるがゆえにいじめられた。彼はストレートで、それも普通高校を卒業して桐朋音楽大学に入学したのです。外部=普通高校から現役合格は初めて。ほとんどの学生は高校も音楽系卒だから、周りは気に食わない。飯森君は優秀ときているから、桐朋のオーケストラ部会の先生も飯森君に注目‼格好の魚(肴)、いじめの味見をしたのです。
飯森範親さんは語ります…
N「今だから言いますけど、相当いじめられました。まさに村八分(仲間はずれ、冷たい仕打ち、つまはじき、無言の圧力…)状態で悔し涙の連続で、遂に吐血しました」
本当なら思い出の一ページになる合宿にも連れて行ってもらえなかったとか。ヨッサンはアナウンサー学校の合宿で今の嫁はんと出会った。その合宿に交際中の子がいたにもかかわらず…。飯森さん曰く「いずれ、仕返ししてやろうと思ってるんですけど‼(冗談)」

そんな飯森君はどうなったか⁉
N「僕の大学2年間の落ち込みから立ち上がらせてくれたのはジャン・フルネ先生なんです。(フルネ:フランスの巨匠、至宝の指揮者。気品ある絵姿でこの方が指揮台に立った瞬間からオーケストラのサウンドが一変する。我らが大阪フィルから極上の幻想交響曲を作り出して下さった。2008年に没94歳)
フルネ先生がいなかったら今の僕はないです。2年の時に客員教授でいらっしゃって、ドビュッシー、ラベルなど沢山レッスンして下さって、“君はフランス人以上にフランス人の感性を持ってるよ!本当に素晴らしい”…“エクセラン”って仰って下さったんです。“トレビアン”ではなくって。それで自分が勉強してきたことは、間違いなかったんだと。1つの指針になった。それから色んなことが吹っ切れたんです。それで4年生の時に“民音指揮者コンクール(現、東京国際音楽コンクール)”に入賞したんです。けど、22や23の指揮者に仕事を頼む…なかなかなかったんです」
そんな飯森青年はどうしたか⁉生来のプラス思考で「仕事がこないってことは、コンクールで賞金も頂いたことだし、留学しようかな‼?で、ベルリンに行っちゃったんです。そこで出会ったのが巨匠ジュリーニさんであり、帝王カラヤンさんの晩年の練習を見せてもらったり…」
もし、彼が留学していなかったら、後の(ドイツの)ヴュルテンベルクフィルの音楽監督の座もなかったでしょう。

マエストロ飯森の春の祭典づくし。初めてスコアを買ったのは小6の時、ストラヴィンスキーの“春の祭典”。中学時代、擦り切れるほど聴いたバーンスタイン指揮の“春の祭典”。大学祭でチャレンジした曲も、初のレコーディングも、東京交響楽団の指揮デビューも“春の祭典”。ちなみに“春の祭典”初演は1913年。丁度100周年‼(よしかわ・ともあき FM大阪くらこれ企画プロデューサー)

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飯森範親さんとのツーショット

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