133 睡眠時間3時間の日々 笑福亭仁鶴 ②

“忙し!忙しい‼”…ヨッサンは決してこの言葉を発することはありません!??“忙しい”は“心を亡ぼす”と書くんや!と言われてからは。(ほな、どないゆうたらエエねん??!)もう1つ諭された“忙しくても時間は作るもんや!”(20年前、頭の上がらなかったN社長…ありがとうございます)

さて、今年“芸能生活50周年”を迎えた落語家・笑福亭仁鶴さんが、どれほど多忙だったのかを、1976年のインタビューからお聞きあれ…

N:仁鶴、R:レモン(宝純子=宝塚歌劇団花組)

R「普段の仁鶴さんの生活って?」

N「4年位前(1972年前後)は睡眠時間がだいたい3時間でした」

R「3時間?(目をあんぐり…それを言うならクチや)」

N「京都へ行きまして、京都の東映の撮影所で(夜中の)2時まで撮影しまして、車で帰ってまいります。豊中の家へ。向こうで泊りゃええのに、やっぱり家が一番落ち着きますからね。3時間ほど寝まして、4時、5時、6時と…。6時半ごろ起きまして。また撮影して、大阪へ帰って来て、放送を1本か2本やりまして、舞台2回やって、その2回の合間に放送局行きまして、また夜中1時か2時まで…と言うようなことで、そういうのが5年位続きました」

R「5年間?3時間で⁉(レモンちゃん呆れ顔)」

N「その時には、うちの松鶴師匠に言われました。“おまえは老衰をしとる”と。昼間、お茶を飲む時間もなかったことが5年ほどありました。もう近頃は、“はたち越えますと”ね、ちょっとくたびれてまいりますので」

R「ハイ、ハイ」

N「もう、はたち越えてるんです。そうは見えないでしょ」

R「見えませんね…フフフ」。当時、仁鶴さん39歳。

R「お休みは⁉」

N「だいたい、年に10日間もろてまして、10日間はいつも旅行することにしています。毎年、9月か10月か11月にヨーロッパへ旅行することになっています」

R「あの、タカ子姫サマと?」

N「タカ子姫、勿論ですよ。1人で出してくれませんよ!」

R「ウ~、聞かなきゃよかった。ハハハ」

45年以上連れ添った妻隆子さんの支え(番組の材料となる新聞や週刊誌の記事を切り抜いてくれた)に感謝・感謝の仁鶴さん。“教え”についてはこんなお話が…。

N「芸事というのは、徒弟制度が1番ええんですわ‼」

R「そうですね」

N「落語家でも、漫才さんでも、3年か5年間は師匠の身の回りして、お便所の掃除して、ご家族のいろいろなもんを洗濯までやる、これは徒弟制度でじかに先輩なり、師匠から叩かれるということが、ネタを教えてもらうのと一緒で、“芸人の気持ち”を教えてもらうというとことでもありましてな。落語の場合、憶えるだけとちごて、師匠と差し向かいで教えてもらえるという、師匠の体温なり呼吸なり、生活態度なり、そういうもんまで吸収するという…これですわ。落語家でも学校制度にしたらということがあったんです。専門の落語家、理論は理論、実技は実技、生活は生活、酒は酒、煙草は煙草て教える部門、それは成り立たない。やっぱり徒弟制度、じかにという、1番厳しい教え方、それがエエようですね」

昨日、仁鶴さんの弟弟子に当たる全盲の落語家・笑福亭伯鶴君に久しぶりに電話をしたら、「仁鶴兄さんに、10年ほど前に稽古をつけてもらいました。兄さんが“ご隠居はん、今晩は!”僕(伯鶴)が“ご隠居はん、今晩は!”と、オウム返しをず~と続けるんです。15分のお噺やったら5分ずつ区切って。僕(伯鶴)はなかなか羽ばたくのが大変でした…鶴やのに⁉」。“学ぶは真似るから始まる”…これが原点や‼そう思いませんか⁉(よしかわ・ともあき FM大阪くらこれ企画プロデューサー)

133nikaku

笑福亭松鶴師匠の56年度紫授綬褒章受章記念祝賀パーティで兄弟弟子たちと並ぶ仁鶴さん(右端)=1981年12月15日

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