014 オペラ歌手になるのが夢でした ペギー葉山

 なにわのヨッサン とっておきの【音楽交遊録】・・・・吉川智明(014)

歌手生活やデビュー50 周年記念…橋幸夫さん、加山雄三さん、中村紘子さんを紹介しましたが、上には上がいらっしゃる。先だって(4月16 日)サンケイホールブリ―ゼで行なわれた大阪新音60 周年記念企画「ペギー葉山コンサート2010 “一歌一会”」。ぺギー葉山さんは新音(労音)とは1957年からのお付き合いだというからメチャ凄すぎる…

な、なんと彼女は1952年にレコードデビューした…今年はデビュー58 年目(再来年は60 周年)。息のなが~い、幅広いファンの皆さまに愛され続けている稀有の歌手でいらっしゃいます。

さて、おしどり夫婦という言葉がありますが、その代表格だったのがペギーさんと亡き根上淳さんご夫妻。1965年、俳優の根上さんの大ファンだったペギーさんが猛アタックで結婚。仲良く本を出すわ、書道展に一緒に出展するわ、旦那は“帰ってきたウルトラマン” に、嫁さんは“ウルトラマンタロウ”(ウルトラの母役)に出演するわと、そのおしどり振りはつとに有名でした。(チョッと脱線…ほんまもんの“おしどり” はいつも寄り添ってるイメージだけど、一緒にいるのは、交尾後、メスが産卵してヒナがかえるまで温めている間だけの話。ヒナがかえるとオスは旅立つ…そして毎年新たなメスを見つけ交尾する相手を変える…つまり期間限定のおしどり夫婦なんだって‼羨ましい…⁉ …って言ってるのは誰や⁉)

さて、ペギーさんと根上さんは“クラシック音楽”の赤い糸で結ばれていたんですネ。根上さんの祖父はオーストリアの音楽家、お父さんはヴァイオリニスト。そしてペギーさんの夢はビゼーのオペラ“カルメン”の主役を歌うことだった…夢を実現させるために頭が下がるほどにクラシックをお勉強された… ヨッサンが差し出したマイクもビックリしたのであります。

昨年、梅田芸術劇場の楽屋を訪れたヨッサンはデビュー57 年目のぺギー葉山さんにインタビュー。まずは本名にビックリ…旧姓: 小鷹狩(こたかり)繁子、1933年生まれ。そしてクラシック音楽への傾倒ぶりがビシバシ伝わる話し振り…

「青山学院中等部に入った頃に、兎に角クラシックの勉強がしたくって、あの頃に封切られたアメリカ映画のオペラの映像に魅せられたり、父も母もクラシックが大好きで、父は若い時にカナダのバンクーバーに商社マンをしていたことがあるので、お土産に持って帰ったのが“クライスラー” や“エルマン”の名ヴァイオリン…大きなSP盤。ハレルヤコーラスとか“ガリ=クルチ”の素晴らしいソプラノの乾杯の歌とか…“あんな風に歌えたらナア”ってかねがね思ってました。」

この後も名演奏家の名前が次から次へと登場。60 年も前ですヨ‼“シミオナート”“内田るり子”“砂原美智子”“永田絃次郎”“藤原義江”…。熱を帯びるペギーさん「アルトの内田るり子さんの声がとても好きで、私も随分日本語の歌い方の勉強を教わりました。それで先生が“芸大目指しなさい!”って仰ったの‼“貴女の声は悪か~ないわ”って。私もその気になって一生懸命“コーリューブンゲン”“コンコーネ”をやりまして、レパートリーは“ニーナの死” とか“ 君を知るや南の国”。心の中で将来はオペラ歌手になる気持ち…凄くありました‼夢は“カルメン”をやりたかった。“ハバネラ”を歌うのが夢だったんです」。こう語るペギーさんの表情が「カルメン」のアリア“恋は野の鳥”を囀っているかのようでした。

しかし高等部2年の時に観た映画「我が道を行く」でビング・クロスビーが歌う“アイルランドの子守歌” に感動し、クラシックからポピュラー、ジャズへ傾倒し、人生航路の道筋が変更されたのでした。(よしかわ・ともあき FM大阪くらこれ企画プロデューサー)

pegy

デビュー58周年!のペギー葉山さん

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