129 名バイオリニスト誕生奮戦記 川畠成道 ②

わずか8歳で思いもよらない風邪薬がその人の人生を狂わせてしまったのですから…。でも川畠さんとのインタビューは一陣の涼風が吹いてきているようでした…。

K:川畠成道  Y:ヨッサン

Y「8歳3ヶ月の入院生活を経て日本に帰ってきて…」

K「1年ほどは何も考えられなかったんですけど、1年ぐらいたった頃から“将棋”というものを考えたんですネ!(Y「???」)当時自分が好きで、大人を相手にやっていて、それなりに強かったようです。それで、将棋の棋士にさせようかと両親も考えたようです」

Y「羽生(1970年生まれ)か川畠(1971年うまれ)か⁉…対決‼になってたかも」

K「近所に先生がいらっしゃらなかったので、将棋の道は諦めて…」

さて、川畠さんのお父さんはプロのヴァイオリニスト。“ほんなら、はよ、成道君に教えてあげたらエエのに”と思うかも知れませんが、たとえ成道君が少々うまくなったとしてもオーケストラの一員として演奏するのは無理だ。少々うまくなった…だけでは“ソリスト”に大成する可能性は微々たる確率しかない…それに10歳からでは遅すぎる。

…が、ここから父・母・息子の“大変記”が始まったのであります。

K「始めの5年間ぐらいは今よりも視力が残ってましたから、非常に大きな“模造紙”に極太のマジックで音符を書いてもらって(Y「たとえば、1小節ずつ」)そうです。音符が込み入ってくると、1枚に1小節。1曲書き写すとなると、何百という枚数になるんですけど、それを両親が書いてくれたんです。当時、家のドアを開けて1歩入るとほんとにマジックの匂いが漂ってくる」

Y「ありとあらゆるところに五線紙が壁にはってある…」

K「それを(視力障害だから近づいて)弾いていく…という勉強の仕方をしていました」ホンマ、涙が出そうや…。

〈時は流れ、7年後の2011年にインタビュー〉

K「模造紙に極太のマジックで書いてもらっていたけれど、ヴァイオリンを始めて5年たったころから視力が落ちてしまって、大きな楽譜も見えなくなり、その後は“耳で覚えて”弾くようにしています…が、最近は妻に弾いてもらって覚えることが多いですね」

Y「(奥さん…???いつの間に)奥さんはピアノ?」

K「いやヴァイオリンです‼ヴァイオリンなので直接的というか、ヴァイオリンで弾いてもらうのが1番分りやすいです」

Y「よ~ォ、ま~ァ、うまいこと、ヴァイオリ二ストの奥さんと出会いはりましたね‼?」(インタビュー会場の応接室にいたレコード会社のO嬢と川畠さんのマネージャーも大笑い…マイクにもはいっている)

苦難を乗り越え1998年日本デビュー。2年後、彼の地ロサンジェルスでアメリカデビューを果たしました。

K「当時はまだ自分もデビューして1、2年ぐらいだったし、日本からワザワザ聴きに来てくださるファンもあまりいらっしゃらなかったんです(Y「そりゃ、そうやろ」)4人いらしって、そのウチの1人だったんです。あとの方はご年配だったので、同世代は1人だったんですよ…それが妻」

Y「その(彼女の)“声”に魅了されたのかな⁉」

K「ハイ‼」

インタビュー後、“ヨッサンが司会で奥さんとのデュオコンサートやりたいナア…(川畠さんのマネージャーを指差して)こんな女性と”と言ったら…なんと付き添いの彼女が、マネージャーが、奥さんだったのであります。吉本も負けそうな笑いの渦に。

奥さんとは一日23時間一緒なんだそうな…どんなんや??!

普段の練習・楽譜読み・食事・コンサートの立会い・衣装着替え…その他については、『耳を澄ませば世界は広がる』(集英社新書)を!(よしかわ・ともあき FM大阪くらこれ企画プロデューサー)

 

川畠成道著『耳を澄ませば世界は広がる』 (集英社新書)

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