3度の癌と5度の手術と戦いながらも、なお、美しい発声で歌うことへのコダワリを追い求め、ヨーロッパまで修行の旅へ出掛け、やっと会得した発声法。しかし発表の機会を奪われたソプラノの笹田和子(当時67歳)は後進の指導に当たり、宝塚歌劇団から正式の依頼を受けこの発声法を惜しげもなく捧げます。
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ナレーター 「それこそ、神様のお陰でしょうか⁉失うもののない強みでしょうか⁉出なかった声がこんなにも自然に楽に出るではありませんか!!?誰もいないフェスティバルホールに響き渡る美しいソプラノ。改めて湧き上がってくる歌への熱い思い。思えば、ここフェスティバルホールでソプラノリサイタルを計画したのが1972年。その直前に子宮癌を知り、涙をのんでキャンセルしたのでした。あれから17年、やっと今日の日を迎えたのです。佐藤巧太郎指揮による大阪フィルをバックに大好きなアリアを思いっきり歌おう‼」
~リハーサル風景…
佐藤 「笹田和子さんをご紹介します」いつにない温かい拍手
ナレーター 「リサイタル3日前、不安と興奮を胸に大阪フィルとの練習にのぞみます。オーケストラとの初めての音合わせ」~リハーサル~
笹田 「遅すぎます…長いことやってないから…」
ナレーター 「かっての笹田さんを知る大阪フィルのメンバーたちも、彼女の再起を我がことのように喜んで迎えてくれました」~メンバーたちへのインタビュー(略)~
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ナレーター 「いよいよ本番、17年前の夢がいま実現しようとしています。ちゃんと声が出るだろうか⁉最後まで歌えるだろうか?」
~本ベル(ブ~…)~
ナレーター 「緊張と押し寄せる不安のうちに開演のベルが響きます」
~拍手~モーツァルトのアリア~BGM
ナレーター 「この日、フェスティバルホールのBОX席で彼女を温かく見守っていた人、この人を紹介する訳にはいきません。笹森修さん。この人なくして今日の笹田和子はなかっただろうという方です」
笹森 「昔からネ、和子さんのことは“カコちゃん、カコちゃん”。彼女が小学4年生の時、私が同志社の神学生。その頃、カコちゃんの行ってた教会の牧師は僕の叔父さん。その叔父さんに“彼女が正式に勉強するように”その一声で歌の道に入った。将来性があると思った」
~リサイタル最後の曲を熱唱する笹田が歌う“蝶々さん”~打ち震えるような拍手
ナレーター 「ディーバは蘇った!見事に堂々と。澄み切ったソプラノは広いホールに響き渡り、人々はかつてのプリマの姿をありありと見たのです。感動で胸を胸を熱くした人々で溢れるロビー」
~元宝塚歌劇団理事長・小林公平さん、元タカラジェンヌ大原ますみさん、あの笹森修さん、音楽評論家日下部吉彦さん…インタビュー(略)~
ナレーター 「熱く、温かい拍手はいつまでも鳴り止まず、やがてアンコール~音楽がはじまってイントロで拍手~音楽“待~て~ど、く~らせど…宵待草~完奏~ホールを包み込む拍手の嵐~
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ステージ下手に戻ってくる笹田和子~笹田と抱き合うヨッサン。“よかった~ありがとう!”“嬉しかったわ私”よよと泣く笹田和子…
笹田和子はこのリサイタルを前にこう語りました。
「神様というのは自分が本当にひたすら願えば叶えて下さるかなって思います。私がちゃんと歌ったら奇跡があると思います」
ナレーター 「そう奇跡が起こったのです…こんなにも身近にいた私達のプリマに、改めて感謝と敬愛の念を捧げたいと思うのです」~拍手BGMエンドタイトル~フェイドアウト
放送した番組を久しぶりに試聴し、不覚にも涙がころげ落ちてきたヨッサンでした。(よしかわ・ともあき FM大阪くらこれ企画プロデューサー)
ヨッサンが司会をさせていただいた大阪フィルハーモニー会館での笹田和子さんのお別れ会(08年2月)