159 あの特別番組ができるまで 笹田和子 ⑥

本日は、ヨッサンの回想風ダイアリー1989“あるプリマの歩み”特別番組制作行状記をお読み下さい。

1989年4月××日

制作部長のОKもろていざ出陣‼…まず、笹田和子さんご本人の説得が大変やった。

“歌う喜びを、歌える希望をバックボーンに、リスナーに生きるって素晴らしいを届けたいんです”と必死で語る。“兎に角、邪魔せんと取材してください”と笹田さんにグサッと釘を刺された…けど、(“執念や”)何度もお家を訪ねた。ある時は“食材”を持っていきヨッサンは“長崎名物皿うどん”を笹田さんとこの台所で“男の料理”をご披露⁉団欒のひと時…笹田さん、病身なのにベッドから起き上がったお母さん、構成者の入村女史、そしてヨッサン…リサイタルを前にした“心のほぐし”に少しでもお役に立てたいと…(本心は心を開いて本音で語って欲しいから)

5月××日

ヨッサンのデンスケ(録音機…当時は肩にくい込む重さ)担いで、いざ東京へ。地下鉄丸の内線~日比谷線「神谷町」下車、午前11時、ホテル・オークラのティールーム。汀夏子さんと10年振りに再会。恩師笹田和子像を大いに語る…が、途中涙がとめどなく溢れてくる。

ホテル・オークラからタクシーでTBS前へ12時半。番組ナレーションをお願い予定の林隆三さんのマネージャーと会う。TBSの前にある“中央軒”の2階が静かだとの事。ヨッサンはきょろきょろ“中華料理店”を捜したがあらへん。なんと中央軒は和菓子屋で2階が和風喫茶だったのだ。(結果的に林さん起用は実現しなかった。なんでやって?…きかんといて。)

さ~て、地下鉄千代田線~日比谷線「銀座駅」下車。ぴあマップ片手におノボリさん。音楽学校時代の同級生だったシャンソン歌手の石井好子さん。半世紀も前にタイムスリップ…リアルトーク‼オダサク(織田作之助)との結婚話がヨッサンの心に影を落とす。

今度は遠いぞ!新宿から小田急線に乗って30分。新百合ケ丘の藤原歌劇団練習場に、大雨に遭遇…我が身よりもデンスケを大事に抱え込んで向かう。五十嵐喜芳さんが、かつての華やかかりし頃を語って下さる。帰阪~トイレにはデンスケと収録したテープを宝物のように持って入る。

5月××日

前日からデンスケを家に持って帰り、南海本線貝塚駅から今日はいつもとは反対の和歌山市駅に向かう。そこからJR和歌山駅を目指すも、電車がなかなか来ない。イラチのヨッサンのボヤキ“はよ、きちゃり~や”。

駅前のホテルにダークダックスを訪ねる。2年前(1987年)日本最長コーラスグループとしてギネスに認定された4人との貴重なお話がたっぷり。

5月××日

阪急宝塚線曽根駅下車。駅構内で録音機の収録準備~踏切手前でしゃがみ込み電車が通るのを待つ。踏切の音、電車通過音を収録。歩いて2、3分のマンション9Fに。エレベーターを降りると、聴こえてくるゾ!ピアノに合わせての発声練習が‼早速、テープを回す。とてもじゃないがお婆さんの声ではない。ノックしたら“魔女”(カンニン)が現れる。真っさらなテープに彼女の発声練習や足跡(証言)をたっぷりと詰め込んで帰る。重い筈のデンスケが不思議と軽く感じられたのは、(番組制作の)確かな手応えだろう。(疲れがどっと出て…いつしか寝てしまう)

取材はまだまだ続き~コンサート本番~編集~ナレーション収録~番組完全パッケージ~オンエア。マイクを向けた石井好子さん、五十嵐喜芳さん、ダークダックスのバクさん、笹森修さん、北野病院の安藤先生、指揮者・佐藤巧太郎さん、小林公平さん、…そして笹田和子さん。皆さんお亡くなりになりました。合掌。(よしかわ・ともあき FM大阪くらこれ企画プロデューサー)

159sasada

ありし日の笹田和子さん(2005年、豊中市の自宅で)

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