167 履物屋がジャズレコード店を始めた訳 澤野由明さん ②

新世界・通天閣のお膝元。履物屋の4代目のご主人澤野由明さんが何でジャズレコードショップも商売として始めたんやろ?おかしな・おもろい組み合わせやと思いませんか⁉

兎に角、大学時代から履物屋の4代目になってからも日本中で売っているジャズというジャズのLPレコードを買いまくった澤野さん。

「こういう鼻緒をすえる下駄の時代は終わりかいなあ」と“履物屋”の行くすえを案じていた頃、結婚してフランスに在住している弟さんから「兄貴!あんなァ、“パリで日本のジャズレコードを売りたい”ゆうてはんねん」。

そこから「日本のレコードを輸出するようになったけど、輸出するだけやったらおもろない。自分も制作に携わってヨーロッパのジャズをなんとか日本で販売したい」。これが当たった!よ~売れる。まさに兄弟のタッグマッチ。絶好調にことが進む…が、世はLPからCDの時代に。業績不振に陥った。さあ…澤野さんの決断の時が来た。

澤野さんは語ります。

「LPからCDに転換したんですが、売れない。売れない時は、下駄屋さんが95、音楽の仕事は5%ぐらいしか儲からん。今は多分、30倍ぐらいCDの方が売上げがいい筈」。その丹念なCD作りについて心温まるお話。

「だんだん仕事していくと、ヨーロッパ中のレコードスタジオとかジャズのディレクター、レコード会社の担当者、それからミュージシャンから(情報が)一杯上がってくる。結婚して30年、フランスに住んでいる弟とは、お金はよう稼がんかったんですけど、人は凄く稼いだ(人脈増幅)、この財産だけはお金を出しても買えないくらいネットワークが出来、“これは澤野の(気に入る)音やでというアーティストの音”なんかをすぐ届けてくれるし、社長以上に偉い人(澤野さんのこと)がいないもんですから“これエエやん”ゆうたら即“レコーディングしよか‼”って言うところまでいって、“この音やったら何枚ぐらい売れるやろなあ”と計算できるんです」

それはなんでか?

「リスナーが財布からお金出して“こうて(買って)もエエで”というのが基準。そういうポイントで製品にすれば売れるやろう‼“僕の好き度=これがこんなに気持ちエエ音楽や”と思ったら、僕と同じ人が日本中にいて買ってくれる…という作り方。つまり売れへんかったらお客さんの目線と自分の目線がずれてきたと思う」

確固たる経営方針はまさに“音楽愛”がポイントなんですが、その愛情は「全部自分でやります!!(CD録音制作だけでなく)ジャケットのデザイン、ライナーノート(解説書)の印刷、それをCDに入れ、(澤野工房の)シール貼り、荷造り、発送、…1枚1枚、どこかで(自分で)触っていますのでジャズのCDが生まれてから最後まで関わってるからCDが自分の子どもみたいなもんで…」

今や、通天閣登って、串カツ“だるま”で満腹になって、その足で「履物屋・澤野」ではなくジャズの「澤野工房」を訪れるのが観光コースになっているのです。

ほんで、履物屋はどないなるのか?

「もし私の後継が出来るとすれば、大阪で最後の下駄屋となるんちゃうんかな⁉」。そして「なんとしてでも“ジャズ喫茶”を作りたい。昔あったジャズ喫茶を新世界に作りたいナ~ァ」と夢は膨らむばかり、ヨッサンが「世界の澤野工房になって頂戴」というと「いや、新世界の澤野工房です」とホンマ謙虚なお方です。先日、訪ねて行った時、“下駄屋は娘が後継いでくれることになりましてん”と恵美須顔の澤野さんでした!

大阪市浪速区恵美須東1丁目。有限会社「澤野工房」。06・6641・5023。(よしかわ・ともあき FM大阪くらこれ企画プロデューサー)

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観光コースになっている「澤野工房」=大阪市浪速区内

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