028 コントラバスとの出会いと奮戦記 奥田一夫

なにわのヨッサン とっておきの【音楽交遊録】・・・・吉川智明(028)

あれは虫の知らせだったんだろうか…?コントラバスが演奏する軽やかなメヌエットの調べに乗せてヨッサンの爽やかな(自分でゆうてどないするねん) 声が流れます。

“健やかな美しさを皆さまにセリュー帝塚山の…” FM大阪、毎週日曜朝9時30 分からお届けしている「ザッツ・ステージ“ 藪下哲司のエンタメ講座”」の冒頭は、スポンサーのお知らせから始まります。そのBGMはその日の気分でチョイス!9月12 日の音楽は「ホフマイスター作曲:独奏コントラバスの為の四重奏曲第2番」からメヌエット。

この番組がオンエアされてから約5時間後、ヨッサンがいい気分で選んだ音楽の演奏者が不慮の事故で亡くなったのです…。大阪センチュリー交響楽団首席コントラバス奏者奥田一夫さん。享年57 歳。マウンテンバイク歴約20 年の奥田さんが下山途中、50 ㎝の段差にさしかかった際、運転操作を誤って前のめりに転倒、首の骨を折った…らしい。

渦中のオーケストラ“大阪センチュリー交響楽団”は198 9年に“大阪府のオーケストラ!”として誕生。大阪府民に親しまれるクオリティの高いオケとして成長してきました。このオケ誕生から首席コントラバス奏者としてだけでなく、みんなのまとめ役とレベルアップに尽力したのが奥田さんだったのです。

そのセンチュリーが、あの知事が大好きなキーワード⁉“打ち切り” の被害を受けるのです。補助金打ち切りの…(音楽文化をどない考えてるねん⁉) 人と人との間にともるのが文化。(誰が言ったか)見えないコレクションが文化やないか!自分が(府が)作ったんやから親やろ!そして、大切な命の灯りが消えてしまった…。(アカン、血圧が上ってきよった)

残念、無念、悲しい、悔しい…気持ちを胸にしまいこみ、ヨッサンは彼の追悼特集を企画し、1週間後の19 日クラシック番組「おしゃべり音楽マガジンくらこれ!」を制作したのです。在りし日の奥田さんのお喋り(4、5年前にヨッサンとの対談を収録したMD)を再現していきました。

奥田さんのライフワークであるコントラバスとの出会い秘話。チョッと耳を傾けて下さい。

「中学はブラスバンドでトランペットを吹いてました。で、奈良女子大学の付属高校でそのまま器楽アンサンブルに入ったんです。“ ヴィバルディの四季”や“動物の謝肉祭”やら、トランペットの出番が少ないんです。あまりにも出番が少ないんで何か他の楽器ないかな?って思ってたら、たまたま音楽の先生が“奥田君がコントラバス弾くって言うんだったら、新しいコントラバス買ってあげる”ってゆうてくれはったんですヨ!

この先生のひと言が一生を決めちゃったんです。今から考えたら年度末で予算が余ってたんでしょうネ!思わず“やります”。って言いました。コントラバスは好きでもなんでもなかったし、単独の音も聴いたこともなかったですし、その先生の名前?山口先生。言っていいんですか?近鉄社長夫人(当時) です。」

以来、奥田少年の奮戦記が始まりました。

「自分で教則本を買って来て、音楽教官室(ここは楽器倉庫で山口先生の控え室)に入って先生の横で訳の分らん音で“ブ~ブ~、ブ~ブ~練習したんですが、よく先生は耐えてくれはった!3年になって音大(東京芸大)に行くと決めてからは毎日5~6時間。受験に関係ない科目はほとんどサボって(コントラバスを)さらってました」

涼しそうな目と優しい語り口。“奥田さんにとってコントラバスとは?” の質問に「訥弁だけど雄弁」と答えた奥田さん。それは奥田さんの人生そのものでした。(編集長!これ以上書けません…涙が…涙が…)(よしかわ・ともあき FM大阪くらこれ企画プロデューサー)

okuda

ありし日の奥田一夫さん

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