なにわのヨッサン とっておきの【音楽交遊録】・・・・吉川智明(006)
ホンマ、歳とともに時の流れは速くなる一方や!あっと言う間に3分の1が過ぎた2010 年…ヨッサンがマイクに向かって一番たくさん口からこぼれたクラシックの作曲家は…⁉生誕200年ピアノの詩人ショパン”であります。
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そこで、ショパンをネタにするために勉強してみたら…いやはや知らないことだらけ。男装の麗人ジョルジュ・サンドとホニャララ⁉になったのはまあ~ 知ってたけど。サンドがサンドイッチだけでなく海や山の幸をふんだんに使ったスープ“ショパンポトフ”を作ったり…それはそれは献身的やったとか。25 歳の時にマリア・ヴォジニンスカにプロポーズし、婚約までこぎつけたけど…解消…愛の断絶。トホホのショパンだったとか…それゆえにショパンの音楽は“失恋の響き”がするんやろナア!
ならば、“ピアノの貴公子” リチャード・クレイダーマンはどんな愛を掴んだんでしょうか?
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1 9 7 8 年にL P でデビュー。「渚のアデリーヌ」の爆発的にヒットし、待望の初来日公演を果たしたのが1980 年…ということは今年は来日30 周年か⁉こりゃ凄いワ‼息の長いピアニストやナア…と思いめぐらしながら、FM大阪のテープ保存棚からこれまたセピア色になりかかったテープを取り出してみる… 20 数年振りに。
表紙には1983年とメモ書きが。せやせや…結婚式場〇〇殿提供の番組「愛のハッピーモーニング」用の取材でクレイダーマンにインタビューしたんや。コンサートが始まる1時間前、脛毛丸出しのドテラ姿の彼が瞳を輝かせながら語ってくれましたっけ… 「愛しのクリスティーヌ」の出会いについて。
“1980年に、ボビノというフランスのオランピアと同じような所で、あるスターのピアノ伴奏をしていた時、クリスティーヌが衣装係りをやっていて、そこで知り合ったんです。最初出会った時に、これは素敵だ!グラッとなったんじゃないんです。付き合いが始まって、ごく自然にそういう風になったかな?愛してます!は3日か5 日ぐらいたって…”
彼の顔には、僕は奥手ではにかみ屋なんですと書いてあったので、すかさず訊ねてみました。プロポーズは?
“1ヶ月ぐらい付き合って、それから一緒に住むようになりまして…”と言うではないか‼ なんちゅう手の(口の)早いこと。スターになる前でよかったョ、クレイダーマンさん。今やったらF紙が「ピアノの貴公子、子連れ美女と愛の狂想曲を奏で、毎夜アレグロ・コンブリオ‼“
どことなく尖がった、甲高い、それでいて優しい鼻にかかった声がテープに収まっていました。
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そんな心をほぐしてくれるピアニスト・クレイダーマンとヨッサンの出会いは1980 年。FM大阪開局10 周年を記念して彼の初来日公演の模様を(今はなき)フェスティバルホールから実況生中継したのです… 担当プロデューサーはこのヨッサン。
“貴方のリスニングルームのソファがフェスティバルホールのボックスシートになります。臨場感溢れるクレイダーマンのピアノサウンドを堪能して下さい”
今では考えられない大仕事。そしてこんな贅沢が出来た19 80年代…。
そうそう1987年1月「F M大阪吉川智明と行くヨーロッパ9日間の旅」(旅行代金28 万8 千円、参加者が何と56 人)このツァーのスペシャルメニューはクレイダーマンと過ごすパリの夜でした。水上バス(遊覧船)でのコンサート。淡いローソクの灯りに照り映える着飾った紳士淑女たちはピアノが手に届きそうなスペシャルシートでウットリ。“思い出を売るピアニスト”クレイダーマンと、このヨッサンは彼の郷里での再会を楽しんだのでありました。(よしかわ・ともあき FM大阪くらこれ企画プロデューサー)
ヨッサンがライナーノートを書いたクレイダーマンのCDと、ヨーロッパ旅行のパンフレット