151 人生3度のチャンスを語る 小沢昭一

御三家…と言えば(歴史好きの方なら徳川御三家)、ヨッサンの場合は我が青春と背中合わせだった1960年代の御三家ブーム(橋幸夫、舟木一夫、西郷輝彦)が思い浮かぶ。新御三家もあるけど、もう1つ中年御三家を忘れたらアカン⁉なんてったってこの御三家(永六輔、野坂昭如、小沢昭一)の1974年武道館コンサートはあのビートルズもぶったまげるほどの盛況であったのだ。そのお1人、小沢昭一さんが昨年12月11日に亡くなった。誕生が1929年4月6日だからご健在ならば昨日が84歳のバースデー。

あれは小沢さんがまだ48歳でまさに油の乗り切った頃。宝塚歌劇団娘役の舞小雪(愛称ハッコ)が是非会いたい人…として1977年7月8日に実現しましたが、話上手な小沢さんのいぶし銀の語り口にハッコは終始頷くばかりなり。

О:小沢昭一  M:舞小雪

M「今日は素敵な中年おじ様・小沢昭一さんにお訊ねします」

О「今、“素敵な”ってところにちょっと無理がありました。自分で中年と思ったことないですが、まあ中年になってみると宝塚のお嬢様に会えることは“夢”のようで、野坂昭如さんなどは“夢”を実現させて自宅に宝塚をおいたりなんかしてます。(奥様も娘さんも元宝塚)やっぱり宝塚は素晴らしい!若い美人の集合体のトレーニングが隅々まで出来ていて、しかもアンサンブルでやっている仕事ってのはあえていえば宝塚だけなんじゃないか、これはプロですねェ。」

M「ひとつにまとまって、まあプロっていえるかどうか分かりませんが…。」

О「でもねえ、練りこんでいる芸は、ひと目観てすぐ分かります。それはそうと、僕最近LPをまた出しました。いい年してシンガーソングライターを気取ってまして、作詞して作曲…という程のもんじゃないんですが、好きな節にして創った歌で“猫”。これを是非聴いて下さい」自分で仕切る小沢さん…

О「なんとなく野坂昭如、永六輔と一緒に歌い始めたんです。僕はある時期アマチュアに憧れたんです。“いつも日本の芸能を蘇らせてきたのは、名人でもなければプロフェッショナルでもなくアマチュアなのね”」

M「本職の俳優になったキッカケは?」

О「元々、軍人志望で、なんとなく芝居をやるようになった…青春のエネルギーを戦争にだけしか賭けていなかった少年が、戦争とは何て馬鹿げたことだとよく解った時に、“フッ”と飛びついたもの。仲間と一緒にやっているうちに職業になってきた訳です」

食うや食わずから歩みだし、そして当時47歳になった小沢さんの人生訓とは…

О「人間っていうのは人生3回チャンスがある。まず、“若さで羽ばたく時”次は“色々分かってきた30代後半(人によっては40代)”第一期でパッと羽ばたけたからと言って第二期で飛べるか分らない。大体落ちる方が多い。そして第一期で羽ばたけなかった人でも第二期で出てくる人もいる。これは“力(ちから)”のある奴ですよ。僕は二期がそろそろ落ち目かなァで、さあ三期が来るゾって時ですよ。どう三期を迎えたらいいかというとこれは難しい。若い時、芝居やってれば楽しい、幕があく前の感動、ライトが当たればカァ~ッとなる、という事だけでは済まなくなってきて、どうやったら自分の人生の後半まで羽ばたき通せるかってことを考えると、そう楽しいとは言えなくなってきますネ」

そう語る小沢さん。

夢は?「第三期をどう羽ばたくか?羽ばたいていきたい‼それと舞さんと今日お目にかかって、“二人で羽ばたく”ということも、未来の夢の花園の中に描きたいと思います」

きっと今頃、天国の花園で美女と羽ばたいてはるんとちゃうやろか!!?

小沢さんのラジオ番組「小沢昭一的こころ」通算10355回だった…仰天驚異!(よしかわ・ともあき FM大阪くらこれ企画プロデューサー)

151ozawa

「小沢昭一の小沢昭一的こころ大全集」CDジャケット

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