193 世界の演出家からのメッセージ フランコ・ゼッフィレッリ

高校生時代からクラシック音楽にドップリ(温めのお風呂に)浸かり込んだヨッサンの夢は…

オペラの殿堂“ミラノ・スカラ座”、“ウィーン国立歌劇場”、“メトロポリタン歌劇場”に行ってホンマもんを観ることだった。

それが…あたかも黒船来航のような驚天動地、1980年にウィーン国立が、1981年にミラノスカラ座がそっくりそのままやってきたのだ。

特に、ミラノスカラ座の本物のステージが旧フェスティバルホールと合体したのには腰を抜かした。

なんてったって…舞台機材一式がトラック80台分あり、出演者・スタッフの数が総勢500人余。フェスの周りがトラックだらけ⁉だったのを今でも鮮明に憶えている。

それ以上に激烈だったのは、プッチーニ作曲のオペラ「ラ・ボエーム」を演出したフランコ・ゼッフィレッリの舞台装置、照明、衣装、その視覚的要素に目が飛び出るばかり、まさに圧巻‼

特に豪華な二層舞台(1Fは民衆達のくつろぎカフェタイムを。2F部分では群衆が思い思いのざわめきを。衛兵達の行進もあった。当時、フェスの元支配人・亡きTさんもその隊列に加わったことをあれ以来自慢していたっけ。なんせ、世界の演出家のゼッフィレッリの舞台に参加したんだから)

そしてオーケストラピットにはスカラ座のオケと指揮は天才カルロス・クライバー…(キャンセル魔、親日家)。

兎に角、このオペラ、肝がなんぼあっても足らんかったのだ。(何回肝をつぶしたことか)

そんなゼッフィレッリにヨッサンは1988年に中之島にあったグランドホテルで単独インタビュー。

聞いて驚くなかれ…

ゼッフィレッリは1923生2月12日生まれで、今年90歳。あの永遠の青春映画「ロミオとジュリエット」(1968年制作、ジュリエット役の清純なオリビア・ハッセーにハッと息を飲んだもんや…今はええオバチャン)、映画「ブラザー・サンシスター・ムーン」(1972年)、映画「チャンプ」(1979年、あるボクサーと息子の話。涙腺が破れてハンカチが水浸し!??)と並行してのオペラの演出。

それもウィーン国立、メトロポリタン、ロンドン・ロイヤル・オペラなどなどで大喝采。“行列の出来る(依頼の多い)演出家ナンバーワン!

で、1989年、ゼッフィレッリはスカラ座を世界のオペラ座にした指揮者トスカニーニの半生を綴った映画「トスカニーニ」のプロモーションのために来日。

一介のチェロ奏者が、どんな青春時代を送り、何故20世紀最大の指揮者への道を歩み出したのか⁉“大西洋の荒波は指揮することはできないが、指揮してみたい最大のものだ”とトスカニーニ。(あのムッソリーニに楯突いた大物指揮者)

さ~て、ゼッフィレッリさん…まいった、まいった、喋りだしたらかっぱえびせんの様に止まらへん。

「トゥット、キョモンド、シオモンド、アーモンド?…主人公トスカニーニの音楽に対する集中力、献身性。その姿勢は、目的に向かってあらゆる妥協を許さず進んでいく。特に今の若い人達に大事なことでしょう。なんでもコンピューターによって管理され、自分が決心する機会が無くなっている現代にあって、目的のために血の汗を流す。そういう生き方を感じて欲しい。ある若者が冒険をして人生を進んでいくストーリーです…」

さすが元俳優で演出家兼監督のゼッフィレッリさん、オーバーアクションを交えた大声と本質を突いた語り口に、差し出したマイクが何度も何度も頷(うなず)いていました。(よしかわ・ともあき FM大阪くらこれ企画プロデューサー)

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ゼッフィレッリさんとのツーショット

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