063 18歳のびっくりオーボエ留学 宮本文昭②

宮本文昭…“18歳でドイツにオーボエ留学”このたった14文字にはとんでもないドラマが‼

M:宮本文昭 Y:ヨッサン

M「高校時代、グレた一面もあったけど(今では時効ですが…くわえタバコでパチンコじゃらじゃら…)、結構、真面目にお勉強してたんです。で、いつも思ってたのは“ちゃんと楽器(オーボエ)をやらないと、食いっぱぐれることになる”このままでいるよりも海外に飛びだそうと」

Y「そういう思いが段々つのってきた?」

M「後々、匠になるヴィンシャーマン(オーボエの神様)が日本にいらっしゃった時に聴いて、こんな生き生きと、あるいはしみじみと、色んな雰囲気を出せるオーボエって凄いなァと。それで“この人についてドイツに行って、ドイツ音楽をやろう、バッハをしっかり勉強したい”と思い、自分で手紙書いて、自分でスタジオ借りて録音して、先生とこへ(デモ)テープと手紙を送って、“(デモテープ)聴いて下さい!僕をとって下さい!弟子にして下さい”って、そしたらば“いいよ!”って返事が」

Y「留学を決めたんやね」

M「当時はネ、ヨッサン!海外渡航は簡単じゃなかったんですよ。1ドル360円のそういう時代なんですよ!」

Y「円は360度や、だから分りやすく360円にしたって聞いたけど…ホンマかいな⁉」

M「海外に行く人は、特に留学する人は文部省に行って検定試験みたいなのを受けて、お許しが出ないと留学出来なかったんですよ!留学出来る人は“大学を出た教養ある学士の方だけ”。その為に、僕は観光旅行者として日本から出たんです。当時、観光旅行に出る人は、なんと“闇ドル”を持って出ない限りは1人頭500ドル=およそ20万円のお金しか持ってちゃだめで、そんなんで、留学したら1年たたないうちに無くなっちゃうんですヨ。あとは“腹巻”とか“靴底の下”とか、まるで麻薬の運び屋みたいですけど、そういうとこに隠して、観光で行きますって、片道の切符で行ったんですよ。それも飛行機ではなく、当時のロシア船、横浜から船に乗って」

Y「~神戸に着いた~」

M「そうやないって、ナホトカ…当時のソヴィエト連邦の右側の端っこ…。そこに着いて、そこからシベリア鉄道に乗って」

Y「何十時間かけて?」

M「何十時間どころか、1週間くらい。途中ちょっとだけ飛行機に乗っけてもらって、モスクワとレニングラードに泊まり、(フィンランドの)ヘルシンキまで、延々と。大~きなトランクを提げて坊やが(ドイツに向けて旅行に)行ったんですよ!

横浜から行く時は(友達みんな)テープを投げてネ、蛍の光が流れるんです!“ふみあきちゃ~ん”高校の同級生なんかが“みやもと~がんばれよ~”もう、涙ぼろぼろですよ。ちょっと小澤征爾さんを真似したのね。小澤さんが神戸から貨物船に乗ってヨーロッパへスクーター持って」

Y「僕の音楽武者修行、小澤征爾著や!」

M「五木寛之さんは憧れの旧ソ連や北欧を旅し“青年は荒野をめざす”“さらばモスクワ愚連隊”を書いた。そういうのを読んで“僕は絶対モスクワ経由で行こう!シベリア鉄道に乗ってヨーロッパの広さを肌で味わいながら、勉強しに行くんだ”という志に燃えまくる…当時はもう真っ赤かでしたネ!火がメラメラっていうか…エネルギーありすぎ!」

サンケイホールブリーゼでヨッサンが企画・司会をしているランチタイムコンサート。次回は7月20日「宮本文昭・マエストロの休日」と題して、お喋り満載、音楽満載。(ゲストの熊本マリさんのピアノ演奏あり)

次回は父はテノール、母はソプラノ…なのになぜオーボエなのか?(よしかわ・ともあき FM大阪くらこれ企画プロデューサー)

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宮本文昭さんを迎えるランチタイムコンサートのチラシ

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