あまりの驚きの言葉に、ヨッサンの目が点になったり、三角、四角になったりと大忙し…作曲家三枝成彰(さえぐさしげあき)さんの“僕が生まれる前から、男の子が生まれたら、息子を作曲家にさせるんだと父は決めてあったみたいです“…”なんやて~ェ⁉“丁度、ショパン・イヤー(生誕200年にクラシック音楽界が沸く2010年)にマイクを向けた三枝さんから飛び出したこの言葉。ホンマかいな??!
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S:三枝成彰 Y:ヨッサン
今や日本を代表する作曲家…というより世界にも名が轟いている三枝成彰さんは1942年7月8日生まれ。
S「戦中、まだ多くの人が(戦争に)勝ったと思ってた時ですネ」、Y「そんな時代に、三枝さんと音楽との出会いは⁉」
S「父が、中学に入った時にグランドピアノを見て驚くんですネエ。千葉の田舎の少年が“作曲家になるんだ‼”と思ったのが凄いんですが、考えられないんですが…」、Y「お父さん?」
S「ええ…父が」、Y「お父さんが中学の時に作曲家を志した!」
S「そうなんです。ピアノを見て、グランドピアノを見て驚いて、音楽やる!と決めたみたいです」
Y「と言うことは、自分の夢がかなえられなかったのを自分の息子に託した!!?」、S「そう言うことですネ」(間髪を入れず、答えが返ってきた。ちなみに“間髪を入れず”の正式な読み方…皆さんご存知⁉“かん・はつをいれず”です。“かんぱつ”ではありませんヨ)
S「で、父は師範学校に行ってるんですね。師範学校でピアノやりますよね。それでも飽き足らず、昔の東京音楽学校に入って、学校の先生も1回やってるんですが、戦争になってきてやばい…日中戦争やってましたから…それでNHKに入っちゃうんです。
でも、作曲やってたみたいですけど、だんだん出来なくなってきて、遂には、息子にさせる気になったみたいですね。生まれる前から決めてあったみたいで、でも生まれてくる子供(=成彰)は、たまんないですよね!!!」
ヨッサンも思わず口に出た「生まれる前から人生が決められていた⁉」、S「男の子が生まれたら作曲家にさせると…」
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三枝さんのお父さん…三枝嘉雄さん(1910年~1997年)は音楽評論家としても有名で、ペンネームは三枝健剛。それ以上に我々を今も楽しませてくれている“NHKのど自慢”の発案者であり初代ディレクターだったのです。なんだか、自分が果たせなかった夢を息子に託す縮図がくっきりと描くことが出来そうな…気にさせられます。
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Y「で、ピアノ始めたんは?」、S「1番最初はピアノからですネ。4つぐらいから。父から(やれ!っと)」
Y「子育て中長期計画の第1弾!はピアノ」、S「ま~ァよく続けられたと言うか、好きじゃなかったですからネ。ズ~っと‼実は大学時代も好きではないし、僕は音楽が“いいなァ~”と思ったのは45歳からですネ」
ま、それは次回にお聞きするとして…Y「その、小さい頃の話ですけど、お父さんにピアノやれ!と。どっか習いに行って?音楽教室か⁉」
S「最初は父なんですよ。先生なんかいない時代(戦中)ですから。やっと先生につくようになったのは小学校3年ぐらいからですかね」
Y「真面目に練習した??」、S「いや~ァ、下手でした」。
そんな成章少年(これが本名…1989年に易学や姓名判断に詳しかったお父さんの勧めで“成彰”に)が通ったのは桐朋学園の子供教室。先生の名は…泣く子も黙る、げにおそろしき(ピアニスト中村紘子のお師匠さんでもあった)井口愛子先生…三枝さんも思わず“怖かった~”と昨日のことのように語ります。
さて、その後、おたまじゃくしの成章少年はホンマに蛙になったのでしょうか⁉(よしかわ・ともあき FM大阪くらこれ企画プロデューサー)
三枝成彰さん