164 記録への執念で本が完成 井上理津子 ②

駟(し)も舌に及ばず…の諺を思わせるメッセージを発するお人が何と多いことか!!?“失言は取り返しがつかん”一度口に出した言葉は、「駟」…四頭立ての馬車で追っかけたって追いつかんのや‼昔から言われています。“実るほど頭を垂れる稲穂かな”…人格者ほど謙虚である。品位があるのんとちゃうやろか⁉

頭といえば、ヨッサンの場合は嫁ハンに“頭が上がらん”けど、最近“頭が下がる”思いの女性がいます。井上理津子さん。あの「さいごの色街 飛田」を徹底取材して書き上げた。

彼女はフリーライターだから何の保証もない。(ある意味、ヨッサンもフリーアナウンサー&プロデューサーだから不定収入だから目先のことしか考えとらん)なのに彼女は足掛け12年かけて1冊の本を完成。当初、4500部売れたら採算が…と思っていたら、な、なんと56000部(第8刷発行)売れている。(きっとあの失言者の追い風?かと思ったら、そうでもなかったらしい)

彼女曰く「この本が仕上がるまでの12年を前期・中期・後期に分けます。(前回紹介したように)前期で“手に負えない街や!難しすぎる街や”と思い、(中期は)ゆっくり歴史を調べる方に邁進した…ら、私が“ファ~ァ、へェ~ェ”と思うことが幾つもあって、たとえば、“飛田”って、大正時代に出来た形成された遊郭として、大阪府の認可を受けて出来た土地、遊郭として誕生したところ。丁度、大大阪の時代に繋がる。だから大正の後期から昭和の初めにかけて、1回目の凄い全盛期がやってくる。

その頃に、色んな統計の取り方がありますが、お上と民間で違うけど、1番多い数字を取ると3500~3600人の女性がその(遊郭の)中にいらっしゃった。他と比較すると、(東京の遊郭)吉原や(名古屋の遊郭)中村は大きいと言ってるけど、飛田も比肩(同じくらい)の大きさであったりとか、当然その頃、合法の時代ですよネ。だから、観光資源の1つとして扱われている街であった。

そうすると(当時)ビジネスホテルがない大阪に、“ハイハイ出張の方、観光の方、大阪に来られたら、飛田で泊まったらこんな女…”って調子でいくつもの観光ガイドブックが出ているんですネ。

で、私はファ~ァ、そう言う時代やったんや…という認識を持つとともに、しかし、その時の衛生資料を調べていくと、じゃ、女性はどんな女性か⁉…4人に1人は性感染症に罹患されて、ある病院に隔離されていた。わ~ァ、華々しいな、綺麗な…それだけでは決して捉えられない街だと、資料の面では分かっていく」

そんな井上さんの頭をガツンと叩く社会状況が生まれたのです。(このあたりから後期)「そしたら2008年頃あたり、ワーキングプアとかネットカフェ難民、そう言うキーワードがあり、世がそちらに注目しだした時に“いやいやいや待って!私が調べてきて、何も発言してないこれって、もっとキツイ目に遭った方、今、現在も(貧困に)喘ぎながら暮らしてらっしゃる方のヒアリングもしていましたので、“私、このまま黙って(飛田は)手に負えませんでしたつって終えといたらアカンやろう”とゆう気持ちになって、本気になって、最後にホンマにラストスパートに入りました」記録に残すんや‼の執念の塊=本が完成したのです。

※ヨッサンは飛田に2度行ったことがある!!?妖艶・隠微・絢爛…この本のP48~49に紹介されている遊郭建物“鯛よし百番”。こちらは誰でも安心して入れる料亭。すき焼き食べて飲んで、どんちゃん騒ぎした思い出が…。

※来年春完成する“あべのハルカス”…展望台から南西の眼下をご覧あれ!そこに“さいごの色街 飛田”が呼吸していますから。(よしかわ・ともあき FM大阪くらこれ企画プロデューサー)

164inoue

井上理津子さん

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