194 人生、回り道が近道で指揮者に 広上淳一

いまや“音楽は燦然と輝き”頭も美しく光る今や指揮界のゴールドメダリスト広上淳一さんにご登場頂こう。

広上さんは現在、京都市交響楽団の常任指揮者のみならず、引く手あまたの大忙しの指揮者。小柄で短足(許せ!マエストロ)だけど、彼の指揮棒がムチのようにしなりオーケストラから渾然一体となってた素晴らしい演奏を引き出す、そんな彼はいわゆる指揮人生の“サラブレッド”とは決して言えない…人生、回り道が近道…を地でいくお方なのだ。

H:広上淳一  Y:ヨッサン

Y「1958年5月5日、東京のお生まれですか⁉」

H「父がNHKの報道記者で、父が学んだ場所も京都の大学でいわゆる転勤族でした。BK(大阪)にもいたり、で、東京で僕がうまれて、広島、松山、仙台、横浜と、小学校・中学校(それぞれ)3回ずつ代わってるんです。今も指揮者として旅がらす続けてますけど、この転校が役に立ってますよ⁉」

そんな広上少年は6歳からピアノを学ぶも、皆んなに(馬鹿にされると思って)黙っていた。

H「丁度、3回目の小学校の合唱コンクールの時に“誰か、ウチのクラスにピアノ出来る子はいないかな⁉”担任の先生から聞かれて“広上君できますよ”って声が上がった。当時、男の子で弾くって珍しいでしょ。1日で女の子にモテました(笑い)」

そんな彼を音楽の道、指揮者の道に誘導して下さったのは…

H「3回目の中学に転校した時、僕、引きこもりだったんです。だけど唯一興味が湧いて、ブラスバンドに入りまして、初めてクラブ活動を一生懸命やった。そしたら池田先生が“お前は何もかもダメだけど、音楽やらせると何か光るものがある”…この一言がなかったら今の僕はないですね。ここだけの話、当時、(同じ年代の)山口百恵・森昌子・桜田淳子のおっかけを(学校さぼって)やっていたんです」

Y「は~ァ⁉(口あんぐり)」

おっかけやりながら指揮者になりたいと決意した広上少年は、両親を説得してなんとか湘南学園高校音楽コースに入学。それで…

H「高校の女性主任の先生が応援してくれまして、合唱の授業は全部僕に指揮させてもらって“あなたが、曲、演奏、音楽をまとめてごらんなさい”って、本当によき理解者に恵まれました」

それが今日の広上さんの礎となった。しかし…

H「東京芸大を3回落っこっちゃった。東京音楽大学が僕と現田茂夫(あの名ソプラノ佐藤しのぶの旦那さん)を拾ってくれて。でもそこは指揮者が誰も輩出していない(実績のない)指揮科だった。指揮者になりたくてしょうがない‼でもオーケストラを振らせてくれるチャンスがない。だからスコア読んだり、現田と一緒に勉強したり(広上の指揮合わせて現田がオーケストラ代りにピアノを弾く、またその反対に広上がピアノを弾く)兎に角、金がないから365日演奏会にタダで潜り込む。アルバイトは荷物運び、家具屋さん、カフェテリアのウエーター、指揮がダメならと運転免許も取った。目指すは大学4年の時の東京国際指揮コンクール…1位十束尚宏、2位大野和士、3位小野田宏之。入選に僕と山下一史。その時の審査委員長朝比奈隆先生が(物まね調で)“今回の5人は皆んな同じレベルで、将来皆んな指揮者になれそうなタレント性があり、1位も2位も3位も入選もないです”って仰った。でも1、2、3位は賞金が、入賞は賞状だけ“随分差があるよな”って山下と言ってたんですヨ」

その5人は今や現役指揮者として活躍中。

H「仲間が5人いたんで“ろくでなしの会”を作った。6人じゃなかったのと、ロクでもない人生を俺たちは歩む…人生棒に振ってるでしょ!!?」(よしかわ・ともあき FM大阪くらこれ企画プロデューサー)

194hirokami

広上淳一指揮「京都市交響楽団名曲ライブシリーズ3」のCDジャケット

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