003 ブルースの女王の素顔 淡谷のり子①

なにわのヨッサン とっておきの【音楽交遊録】        ・・・・・・・・吉川智明(003)

ここに3本のテープが残っています。ヨッサンにとって、このセピア色に変色したテープこそ、大切な、それもずっしりと拝みたくなるようなお喋りが納められている宝物なのです。

そう、1回目に書いた「胃袋のあたりから熱~いものが込み上げてくるような…TV画面やステージ姿から、きっと鼻で(顎で)あしらわれると想像していたら何と腰の低い愛溢れるあの名歌手」の肉声が、久しぶりに再生モニタースピーカーから飛び出してきました。

その方の名は、今は亡き“淡谷のり子”さん。

淡谷のり子―1907年8月12 日~1999年9月22 日。青森県青森市出身の女性歌手・作家。本名=淡谷のり。日本のシャンソン界の先駆者であり、代表曲から「ブルースの女王」と呼ばれる。東洋音楽学校(現、東京音大)にクラシック音楽を学ぶために進学。絵のモデルのアルバイトをするなど、苦学の末に首席で卒業。“ 10 年に1人のソプラノ” と言われたが、クラシックでは生計が立たず、1929年に歌手デビューした。

書いてしまえばこれだけですんでしまう行間から、汲めども尽きせぬ味わいと重みのある人生のシンフォニーがヨッサンには聴こえてくるのです。

あれは33 年前のこと。ヨッサンは降り積もる雪の中を歩むような足取りで四ツ橋の厚生年金会館に向かっていましたっけ。

淡谷のり子さん…厚化粧?派手派手ルック?毒舌家?腕組しながら“あなたなにさ!! ”と言われそうな“おっそろしい”イメージ。ヨッサンはいざ、コンサートが始まる前の大ホールの楽屋へ。この心臓の高鳴りは、もしかしたら恐怖心?! の表れなのかもしれない…ノックをする右手に鼓動が伝わっていくのが分ります。ままよ…。

ところが、あ、あわ、あわわ…あの淡谷さんが満面笑みをたたえながら、ヨッサンの前に現れたのです。何とテレビの画面から受ける大柄な姿ではなく、小柄な可愛いお婆ちゃまが!!

“淡谷でございます。初めてお目にかかります。本日はよろしくお願いします。〈中略〉ハイ、分りました。では後程よろしくお願いいたします”

深々と深々と90 度の首をたれて…ホンマ90 度ですよ…なんと物腰の柔らかい事。フワリフワリと羽毛布団をかけられたような、身体中がほぐれるような温かさと安堵感に包まれました。さっきまでのあの恐怖心はどこへいったんや?!

さて、プロフィルの行間からこんなお話が飛び出してきました。

淡谷さんは語ります。

“小学校の学芸会でしょっちゅう引っ張り出されたけど、歌い手になろうとは思わなかったの。バレリーナを志していたんです。おかしいでしょ!? 皆さんお笑いになるんでしょうけど。(と、ご自分でも笑ってらっしゃる。ヨッサンもウグッ~と笑う)

それと、作家にもなりたかったワ。ところが母がネ、…音楽の方があ~た、いいんじゃないの!! …実は母が三浦環さんに憧れていたんです。(みうらたまき、知る人ぞ知る大プリマドンナ。「蝶々夫人」が当たり役)あれは大正時代、11 年ごろ。それで音楽院に入ったわけ。ところが1年でやめちゃったの。家がよかったけど、潰れて貧乏になっちゃった。(豪商の娘さんだった淡谷さん。お父ちゃんがコレで潰してしまったのであります。分りますネ?)

それで思い切って裸になりました( 目を丸くするヨッサン!)。1年やりましたネ。で、モデルになって、歌をやりたい、やりたいと思うようになったんです。それで音楽学校に戻ったの…”

語りたくない、そっと蓋をしておきたい青春時代を語る淡谷さんに…ヨッサンは魅了されていくのでありました。そんな淡谷さんの“恋愛”“健康法?” など仰天するお話は次回に。(よしかわ・ともあき FM大阪くらこれ企画プロデューサー)

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淡谷のり子さんの肉声が残るテープ

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