005 チャンスを掴んだピアニスト リチャード・クレイダーマン①

なにわのヨッサン とっておきの【音楽交遊録】・・・・吉川智明(005)

「窓際族」「左遷」「負け組」「リストラ」…こんな名前を並べるだけで、心に重石を乗せられたような気になってしまいますネ。

“吉川君、東京に転勤してくれないか”1985年、青空を眺めて目を細めたくなるような初秋…昼飯に誘われたN常務から突然切り出されました。ヨッサンは、あの野村克也氏が“生涯一捕手”と宣言したように、“生涯一制作マン(アナウンサー兼DJ兼ディレクター)”と自分で決めていたのに。丸太ん棒で殴られたような衝撃を受けたのでした‼

東京はいやだ…小学校時代、紐解きたくない頁があったのだ‼(いつか、この連載でお話します)…悶々とする日々。ウチのカミサンはこの内示を聞いて1日で白髪だらけに。

決断‼…“東京転勤、お断りします…”待っているのは「窓際」か…?背筋が凍てつく日々とともに1985年は終りました。年明け、思いもよらないチーフプロデューサーのひと言がヨッサンを待っていました。

“吉川君、チャンスをやるヨ!4月改編で、朝ワイドをやってもらうから”…胃袋のあたりからどどっと熱いものが込み上げてくるヨッサン‼

そして1986年4月からF M大阪の朝のワイド(月~金) 「ミュージカルチャ―・ステーションF」がはじまったのでした。“チャンスを与える…”。チーフプロデューサーのひと言がなかったら今のヨッサンはなかったでしょう。

次の年、H交通社が企画した海外ツアー「吉川智明と行く、ロンドン~ローマ~パリ」に参集した50 余人のリスナー、カップル、親子。ツアーの目玉は「ダイアナ妃の生家で晩餐会」、そして「セーヌ河に浮かぶバドー・ムーシュ(大型水上バス・遊覧船)でのリチャード・クレイダーマン演奏会」でした。

実はこのリチャード・クレイダーマンとヨッサンはとってもご縁が。その話は次回に。

リチャード・クレイダーマン。本名:フィリップ・ロベール・ルイ・パゲス。フランス出身。1953年12 月28 日生まれ…と言いますから今年57 歳。“ピアノの貴公子” としてデビューを果たして32 年、貴公子というより今や“ピアノのナイスミドル”か⁉

そんな彼にはこんなお話があるんです。

24 歳の頃、彼が生活の糧にしていたのは一介のスタジオ・ミュージシャン。決してガッポリお金が入るわけじゃありません。時は1977年初め。プロデューサー兼作曲家オリビエ・トゥッサンとポール・ドゥ・センヌヴィルが、ニュー・イージーリスニング・ミュージック(くつろいで楽しめる軽音楽)のウェーブを作ろうとピアノスターを探していました。

1983年、ヨッサンはその産みの親トゥッサンに、今は、影も形もなくなった懐かしい大阪グランドホテルのロビーでインタビューしました。トゥッサンは次のように言いました。

“ソロのピアニストを探していて、オーディションをしていました。15 人以上受けたかな? その中から、彼があらゆる意味において我々と一緒に仕事が出来るピアニストだと思ったんです。私が求めていた優しさを伝える何か…そう、フランス語で「タンドレス」(優しさ)を持っていた。でも、今のようにスターというか「いい顔」ではなかったヨ! (笑い)彼はカリスマ的な何かを持っていて、内に秘めた…冷たいけど、強い炎があるような気がします!”

チャンスを掴んだクレイダーマンとチャンスを与えられたヨッサン。以来、静かな湖面に小石を投げたように世界が広がっていったのでした。(よしかわ・ともあき FM大阪くらこれ企画プロデューサー)

 

リチャード・クレイダーマン2010withストリングス・トリオ&パーカッション

5月9日(日)午後2時、NHK大阪ホール。7千円、5500 円。06 ・7732 ・8888 キョードー大阪。

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