009 少女時代の恐怖のレッスン秘話  中村紘子③

なにわのヨッサン とっておきの【音楽交遊録】・・・・吉川智明(009)

“今までお転婆だったお姫様が、オシロイを塗って別人のようにキレイになってくるんだョ~。彩花のは半分白粉がハゲちゃってるお姫様だな~(笑)”

“バターがジュワ―っと溶けたような音を出しなさい。頬紅は塗りすぎちゃいけなくて、少し塗るのがいいんだよ。メグ・ライアンみたいな感じ…”

“チーターが獲物を狙うように…猫が着地のように…甘いケーキが口に広がるように弾くんだよ”

子供達にヴァイオリンを教える時に発せられる名文句の数々。子供達の目線で、子供達の心で接した名伯楽・名教師、工藤千博さん。

昨年10 月9日に62 歳で亡くなった元京都市交響楽団コンサートマスター工藤千博さんの追悼演奏会が、亡くなって丁度7ヶ月後の5月9日、マエストロ井上道義の呼びかけで行なわれました。

愛弟子や音楽仲間その数何と70 数名‼

チャイコフスキーコンクール優勝の神尾真由子が、大阪フィルのコンサートマスター長原幸太が、大阪センチュリーのコンマス太田雅音らの愛弟子達やら…も駆けつけての一期一会の愛の結晶のような音楽会でありました。

演奏会で司会をしたヨッサンの耳に飛び込んできた彩花ちゃん、小百合ちゃん、悠実ちゃんたちが恩師を偲ぶ思い出のメッセージ。まさにジュワ~っと全身に熱いものが駆け巡っていきました。

教えることの難しさ…。20 数年前、スーパーレディ中村紘子さんに聞きました。

“お弟子さんはとらないんですか?”に対する答え。

“これまで私が培ってきたもの、経験したこと、貯えを、そうやすやすと切り売りするなんて…”と意外な言葉が返ってきました。それは自分が体験した、思い出したくないほどの凄絶なあのころがあったからなんでしょうか?多感な少女時代、拳を震わせては後悔し、涙が枯れるほど泣いた頃の話をしてくれたのです。

“あの頃、怖い事では日本一いや世界一と言われた井口愛子先生のレッスンを週1回受けていましてネ。もう毎日が地獄でしたヨ。毎日5~6時間家で練習でしょ。(レッスンが水曜か木曜)金曜土曜は幸せ、青空なの…日曜ぐらいから曇りはじめて、月曜は雨雲、火曜日はどしゃぶり、火曜の夜から発熱、レッスンの日はだいたい熱だしてました。(井口先生の雷鳴が轟く)こちらが30 過ぎても時々夢を見るんですヨ!(笑)”

教師というより恐師?との実体験がトラウマになったのでしょう…生半可な心がまえで教えることは出来ないと…。

月日は流れ…近年は、広く国内外の若手ピアニストの育成やPRに努めている紘子さん。世界各国の審査員やら浜松国際ピアノコンクール審査委員長に浜松国際ピアノアカデミー音楽監督の重責を勤め上げる紘子さん。“切り売り…” どころか“心の身銭” を切って音楽貢献・社会貢献をされている…頭が下がります。

今年、デビュー50 周年の紘子さん。1961年12 月の初リサイタルの再現プログラムで、各地(6月奈良、7月びわ湖)を巡るだけでなく、オーケストラとの共演です。

紘子さんは、〈ピアノの腕が立つ〉だけでなく、料理も飛びっきりうまい!〈料理も腕が立つ〉。

その上、〈筆が立つ〉。なんてったって大宅壮一ノンフィクション受賞作家であります。

さらに〈口が立つ〉。ご一緒した京都産業会館でジョイントDJ。その後、約1時間の独演会…。

そしてその日も、究極のベンツSL500(3台目の車)に乗って走り去った。2台目のジャガーでは2度、危機一髪、天国に旅立つ目に会ったとか。

本人曰く“ 80 のおばあちゃんになっても運転するワ!”。〈旅立つ〉にはまだ早い。スーパーレディに我々も“奮い立つゾ‼”(よしかわ・ともあき FM大阪くらこれ企画プロデューサー)

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ザ・シンフォニーホールの楽屋で中村紘子さんにマイクを向けるヨッサン(1983年5月)。

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